![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157390176/rectangle_large_type_2_4062ed142799d396935fe13ff5d3e57e.png?width=1200)
幸せなカメレオン #1
お母さんになりたかった。奥さんになりたかった。
20代の時はそう思って、結婚したらできたら楽しい毎日があったらいいなと思った。
今までの自分の苗字も、ちょっとした過去も全部ぎゅっと線を引く感じで、新しい名前になって、新しい人生を始める感覚が不思議だった。
今はもう違うのかもしれないけれど、苗字も変わるし、夫の家に馴染むのが当たり前になっていった。
古めの文化の家庭に「嫁ぐ」をした私は、しきたりや常識を学び、順応していった。
夫の実家での朝は、女性たちは早起きして朝食を準備する。
「嫁は最後に座り、最初に立つ」と姑が語った言葉が、「まーーーじーーーかーーー!!!」と心の中で叫んだけれど、どうやらそれが当たり前のようで、私はシレッと「そのように教育されていました」みたいな顔をして頑張った。
初めて夫の実家に行った時、臨月でお腹パンパンの義姉が黙々と洗い物をして、
義理兄と義理父がそんなことは全く気にせずに、お酒を飲んでテレビを見て義理姉の体についても、立つのがしんどいだろうとも一ミリも感じることなくリラックスで自然体だったことが、今でも印象に残っている。
私は毎回、義理の家に行くとき「これは修行だ」と言い聞かせ、反動で実家に帰ると電源が落ちるかのように眠った。
母はそれを見守って寝かせてくれたし、そういう感じで嫁に行って疲れ果てている娘を見て、父は黙って幼い孫を連れて近所に電車を眺めに何時間も散歩してくれた。
義理実家では男性たちは晩酌をし、会社の話をして食べ物が運ばれてくるのを待つ。
義母は時折、義父に敬語で話しかける。
その姿を見て、敬語を使う方が「よくできた嫁」として映るのかもな、とぼんやり観察しながら、私も時々敬語を使ってみた。
気がつけば、私は何色が好きで、どんな色が自分に似合うのか、そんなことは考えなくなって、その場の色によって体の色を変えていくカメレオンみたいに、馴染んでいった。
夫が不在の育児と家事だったけれど、私はキッチンに立っているのが大好きで、料理が好き。
料理を喜んでくれると単純に嬉しい。
台所時間、それはすごく自由。
好きな材料を好きなように調理しながら、自分の好きなものに我儘になれる。
台所は、過去の記憶やぬくもりと繋がっていて、あの人元気かな?
こんなお料理を作ったな。いろんな自分と繋がっていて、気持ちが上がっていく。
ひかるくんのことを思い出すと、まだ胸がきゅっと締め付けられるような息ができない感じになるけれど、同じ年の子どもが二人いるということを聞いた。
元気で過ごしているだろうな。よかったよかった。
あなたには絶対に届くことのないこの感情は祈りなのかな?と思った。
もう会うことのないあの人も、カメレオンになったのかな。なんて思って祈った。
目の前の幸せには気が付きにくいもの
だから 離れたところから「私」を眺めたら、それはきっと幸せなカメレオンなのかもしれないな