雲雀丘花屋敷のみちをゆく #7 やまんばと紅葉橋
やまんば、と聞いて、どういう存在なのか理解ができるのは、それなりに年を重ねた人だろうと思います。
雲雀丘花屋敷駅から雲雀丘学園グランドへ向かう途中に「紅葉橋」という橋があります。
小学校低学年の頃だったでしょうか。学園グランドの裏山に遊びに行くとき、友達がこう言いました。
「この橋を渡るときにふりかえったらあかん、やまんばが出てきてかみころされるで。」
「やまんば」がどういうものか、私は知りませんでした。しかし「かみころされる」という言葉で、「やまんば」がとにかく恐ろしいものだと記憶に刷り込まれるには十分でした。
以来何歳くらいまでかは忘れましたが、大人の歩幅だとわずか10歩程度で歩けるこの短い紅葉橋を通るとき、振り向かないように強く意識をしていました。
今回紅葉橋を改めて歩いた時、一体やまんばが本当に紅葉橋にでてくるのだろうか?という疑問が。いや、もちろん、やまんばが出てくることはありません。そういう意味ではなく、この地域にやまんばにまつわる伝説や伝承があったのではないか、と。
調べてみるととても興味深い話が見つかりました。
「まさかりかついだきんたろう~」の金太郎の昔話。金太郎のモデルは源頼光の四天王と呼ばれた一人、坂田金時です。金太郎こと、坂田金時の墓が花屋敷から上がっていった山の上、満願寺というお寺にあります。
この坂田金時の母親がやまんばだったという伝説があるのです。満願寺にやまんばの話が伝わり、雲雀丘花屋敷にもひっそりと伝わり、紅葉橋でのやまんばの話になっていったのかも。
と、一人で想像を膨らましながら楽しんでいたのですが、その友達が単に私を驚かすために、どこからか聞いたやまんばの話を引っ張り出してきただけの可能性もありますよね。
その友達が誰だったのか・・・忘れてしまったいまはやまんばの伝説を確認するすべもありません。
次回紅葉橋を歩くとき、振り向かないように注意して歩いてみようと思います。もしかするとほんとうにやまんばにかみころされたら大変ですから。