雲雀丘花屋敷のみちをゆく #11 消えた「やまんばの墓」
中学1年生の時、教室から見える雲雀丘学園グランドの裏山が燃えはじめたのです。「燃えている山を窓越しに見よう」と先生が言い、技術の授業がなくなったことがありました。
私は小学生のころ、その燃えて無くなる前の裏山へよく遊びに行っていました。バックネットのちょうど裏に人が通れる「入口」があり、そこが探検の出発地点。入っていくと大きな池がありました。
木々に覆われ日が当たらない細道を歩くと、正面に積みあがった大きな石の塊。友達のお兄ちゃんが「これはやまんばの墓やで。」と教えてくれました。やまんばの墓と聞いた怖さから、中をのぞくだけで入ることは一度もしませんでした。それが古墳だと知ったのはもう少し後のこと。
やまんばの墓からさらに上がっていくと、急に木々がなくなり粘土のような白い土がむき出しになる、ちょっとした高台に着くのです。岩に腰掛け家から持ってきた「黄金糖」や「いちごみるく」をなめて、阪急電車の平井車庫をぼんやり眺める時間がとても好きでした。
この裏山は「雲雀山西尾根古墳群B支群」という古墳群で、このB支群にはやまんばの墓を含め10基の古墳があったようです。現在の地図と比較すると、やまんばの墓は平井第二公園あたりにあるはずなのですが、公園には古墳を想起させるものは何もありません。山が燃え宅地造成がされ、やまんばの墓は忽然と消えてしまったのです。
やまんばの墓と裏山の思い出は、心の中から消えることはないでしょう。しかしそれでいいんだとは思えない、自分のなかで何かがざわりとうごめくのです。
私は時折いろんな古墳を巡っています。観光名所になっている有名な古墳ではなく、なんとか守られて残っている小さな古墳に。それは二度と見ることのない「やまんばの墓」の面影を探し求めているからかもしれません。