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酒席で若者と絡めないおじさんの想い

今朝、部屋のカーテンを開けたら街灯に照らされた道路が真っ白になっていました。仙台市内もうっすらと雪化粧。部屋も冷え切っていたので反射型のストーブを全開で焚いています。そういえば、20代の部下に反射型ストーブの話をしたら「何ですか、それ?」と真面目に質問されてしまった。今、絶滅の危機なのかな?知らんけど。

師走に入って、普段ならば酒の席が多い時期ですが、さすがに今年は職場での忘年会はないようです。私はお酒は弱いですが、みんなでワイワイやるのが好きだったりするので、何だかちょっと寂しい気がしてます。久々に若者がいる職場に来たので飲み会で絡みたかったんだけどなー(←質の悪いおっさんの発言)。私も若かりし20代の頃は、諸先輩方に飲み会で散々絡まれました。たぶん、体育会系出身で酒での席でのノリも悪くなかった私は格好の絡み相手だったのかもしれません。

絡まれることに対してはそんなに嫌ではなかったのですが、先輩方の昔話に付き合うのは結構しんどかったです。ご本人は遠い目をして「おれが○○の時はなあ。あれこれこうで、こんなんだったんだわ。あー、懐かしい。なあ?」と言われましても、その時私、生まれたばっかなもんで。。。

でも最近、私も昔話をする先輩方の気持ちが少しづつ分かるようになってきました。

その理由は、たぶん、単身赴任になったことで自分の過去にじっくり向かい合える時間が増えたこと。そしてそれをこのnoteで記事にすることで過去の記憶をより鮮明に思い出すことができているからだと思います。

以前も記事にしましたが、私はこのnoteの他にWordPressで運用しているブログがあります。WordPressでのブログでは日々の出来事を綴っているのに対して、noteでは自分の幼少の頃から今に至るまでの様々な経験を思い出しながら書いています。ここ10年くらいは仕事と家庭のことで頭がいっぱいになり、昔のことを思い返す余裕もなかった訳ですが、noteの記事を書くにあたって、過去の出来事とその時の自分自身の状況や想いをかなり詳細に思い出しています。それは単身生活を送っているこの場所が、学生時代に過ごした仙台という土地だからという環境的な影響も大きいのかな。実際、先日久しぶりに会った学生時代の友人と大学キャンパス内を歩いた時には、友人の会話とキャンパス内の風景を通して当時の記憶が鮮明に蘇りました。

過去の出来事を思い返すとき、私は自分の頭の中でその時の自分に乗り移って過去の記憶を再生します。集中してくると、それが目の前に映像として映し出されるような錯覚に陥ることがある。たぶん、これまでもそんな感じで過去を思い返していたのだと思いますが、これほど明確に過去の出来事を意識的に再生できたのは初めてではないだろうか。

でも、その過去の映像はビデオで撮影したような当時の正確な記録ではない。その映像は、過去の出来事を『今の自分』という変換装置を経由して映し出されたものであり、ある意味、捏造された記憶と言っても良い。でもそれによって過去を肯定的に捉えなおすことが可能なのであれば、必ずしも悪いことではないのかなーと思っております。


そんな感じで、過去の出来事を思い出していたら、やっぱり誰かに話したくなってきました。でも飲み会がないので若者に絡んで自分の思い出話を語ることもできない。いや、それは若者が嫌がるだろうからできなくて良いんだけれども、おじさん、ちょっと寂しい。

ということで、これからも寂しさを紛らわすために、noteに私の個人的な思い出を書き綴っていきたいと思います。そしてみなさんの貴重なお時間を私の個人的な想いを綴った記事を読むのに割いていただければ幸いです。

それでは、みなさんのご健勝とご多幸を祈念いたしまして、いったん締めさせていただきます。


おわり

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