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【連載#13】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第十三話 少し考えさせてください


  唐突なユキノの登場に硬直しているタケル。アヤノが慌てて声をかける。

「驚かせてごめんなさい。ここ、うちの家族でやっているお店なんです」
「そうなの。オーナー兼シェフが私の旦那。つまり、アヤノのパパね」

 パリッとした白いシャツに黒のボトムス、腰にグレーの前掛けをつけたユキノが笑顔で説明する。

「そういうことですか。でも、家っていうのは……」
「もちろん店に住んでいる訳ではないよ。このマンションの上階に住んでるってこと」

 ユキノはご機嫌な様子だ。

「菅野くんワイン飲める? 今日は一本サービスするよ。食事は好きなのを選んでね」

 ユキノはそう言って颯爽と二人のテーブルから去る。
 二人がメニューを眺めている間、ユキノは「これもサービス」と言いながらチーズの盛り合わせを持ってきた。タケルとアヤノはそれぞれパスタを一品、それと二人で食べるピザを一枚注文する。注文を厨房に伝えたユキノは、白ワインのボトルとグラスを持ってテーブルに舞い戻り、テーブルに置いたグラスにワインを注いだ。
 タケルとアヤノは目の前に置かれたチーズをしばらく眺めていたが、アヤノが先にワイングラスを持った。

「とりあえず乾杯しましょう」

 二人はグラスを合わせてワインを口にする。タケルにワインの知識はないが、鼻に抜ける香りが爽やかで口当たりも柔らかな飲みやすいワインだと感じた。

 「はーい、お待たせしました!ボンゴレとペペロンチーニをお先にどうぞ。ピザは、シェフが玉のような汗をかきながら焼いてますのでもう少しおまちください」

 二人は出来立てのパスタを吹き冷ましながら口に運ぶ。タケルの頼んだボンゴレは、ニンニクと絡んだアサリとハマグリが食欲をそそる香りを放っていた。

「とても美味しいです」

 タケルが素直な感想を述べる。

「はい。父の作る料理は全部美味しいんです」
「そういえば、アヤノさんお父さんてどんな人なんですか? お父さんもバスケを?」
「いえ、父はサーファーです。小さい頃よく母と一緒に海に連れて行ってもらってました」
「へー、なんか、イメージにないです。アヤノさんが海なんて」
「私もそう思います。今もたまに見に行くことはあります。海を見ると心がニュートラルに戻るんです」
「ニュートラル?」
「はい。心のバランスが安定し自立できている状態、という意味です。心が傾いてしまったら自分の力だけでは元に戻せない。だから他者、例えば人や自然の力を借りて戻してもらう必要がある。これ全部父の受け売りですけど」
「なるほど。そうかもしれないですね」

 それから二人は黙々と料理を食べては、「うん」、「うまい」など短い言葉を挟みながら食事を進めた。パスタが皿から無くなりそうになったタイミングでユキノがピザを持ってやってくる。数種のチーズにトマトソースのみのシンプルなピザ。タケルとアヤノはそれを八等分して4枚ずつ食べた。
 ユキノは二人にデザートを勧めたが、タケルもアヤノもお腹に何かを追加する余地は残されていなかった。
 食事を終える頃には20時を過ぎていた。クリスマス時期の週末だけありお店は徐々に込み合ってきて、店内のテーブルは全て埋まっている。二人はそれぞれのお会計を済ませて店の外に出た。ユキノが外まで見送りに出る。

「ユキノさん、今日はごちそうさまでした」
「こちらこそ。菅野くんがうちにきてくれて嬉しかったよ。今後も娘のことよろしくね」
「お母さん、変なこと言わないで。菅野くん困ってるでしょ」
「あら、そうなの? とにかく二人とも元気に楽しく学生生活を送ってね。若さの賞味期限は短いことを忘れずに」
「お母さんが言うと説得力ないけれど」
「まあそうね。私はまだまだ青春真っ盛りのつもりだからね!」

 ユキノの元気に圧倒されつつ、見送られた二人は路地を抜けて西公園に沿った広い道に出る。無言で歩道を並んで歩き、広瀬通りとの交差点にかかる大きな歩道橋に差し掛かると、アヤノがタケルの少し前に出て階段を上り、歩道橋の真ん中で足を止めてタケルと向き合った。

「菅野くん。今日も付き合ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。気を使ってもらってなんだか申し訳ないです」
「申し訳ないなんて言わないでください。私、楽しかったですから」

 アヤノは歩道橋の手すりに両手を組んで寄りかかり、真下を通り抜ける車の流れを見つめた。タケルもアヤノの横に並んで同じ姿勢で道路を眺める。眩いヘッドライトと赤いテールランプが交互にすれ違う。

「海の話なんですけど」
「え?」

 タケルはアヤノに顔を向ける。アヤノはタケルの反応を見て言葉を変える。

「傾いた心をニュートラルに戻すって話です」
「ああ、はい」
「私は菅野くんが傾いていると思っているんです」
「傾いている」

 タケルはアヤノの言葉を復唱する。

「私にはそう見えます。だから、ニュートラルに戻してあげたいって思ったんです」
「アヤノさんが、おれを……」
「菅野くんがゼミを早退したあの日以降です」
「………」
「私の思い違いかもしれないと思いました。でもその後の様子を見る限り、やっぱり菅野くんの心は傾いていた。だから、私で良ければ力になりたいって思った」

 アヤノは月明かりで黒く浮かびあがる青葉山を眺めながら話し続ける。タケルはその横顔を見ていた。

「それでおれと契約を?」
「はい。理由が欲しかったんです。私は菅野くんにとってゼミの先輩でしかなかったから」
「………」
「一方的すぎましたかもしれません。菅野くんが求めていないのにそれを押し付けるみたいにして」
「そんなことないです。でもアヤノさん、おれは分からないんです。自分がどれだけ傾いているのか。それを今すぐ直すべきなのか。差し伸べられた手にすがってしまっても良いのかどうかも……」

 アヤノは寄りかかっていた手すりから手を離し、体をタケルに向けて目を合わせた。

「契約の解除にはいつでも応じるつもりです」

 アヤノの言葉に対してタケルは何かを言おうと口を開きかけたが、言葉を発しないまま口を結び、アヤノから目を逸らした。少しの沈黙の後、タケルが再び口を開く。

「少し考えさせてください」

 アヤノは「はい」と短い返事をする。
 初冬の冷気と足元から響く車の走行音が二人を包み込む。

「冷えるからもう帰りましょう。では菅野くん、良いお年を」
「良いお年を」

 二人は今年最後の会話を終える。タケルに背を向けたアヤノは上ってきた階段を降りていく。タケルはアヤノとは反対方向の階段に向かう。階段を下りきったところでタケルは右手で顔を触った。酔いは醒め、頬はすっかり冷たくなっていた。


第十四話へつづく


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