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なぜ島で起業したのか。就活で感じた違和感と地方の豊かさとは。

こんにちは!
-泊まれる喫茶店- hotelのち & 喫茶ゆらぎです。

弊社noteでは求人記事を公開中です。

誰と働くか、ということは
仕事において、とても重要ですよね。

そこで、hotelのちと喫茶ゆらぎでは、
どんな人が、どんな思いで働いているのかについて
紹介していこうと思います。

まずは、弊社代表の眞壁の人生観について。
なぜ、島で起業したか。
就活で感じた違和感と地方の豊かさとは。

より深掘った話や、率直な思いを
インタビュアーさんからの質問に答える、
という形で綴らせていただきます。



「ふるさと」のない少年期

こんにちは。
今回は眞壁さんの考えや想いについて色々とお聞きしていきます。

よく聞かれることだと思うのですが、

眞壁さんは群馬県ご出身と聞いています。

なぜ群馬から「隠岐の島」へ移住してきたのですか?

私は群馬生まれってわけではなくて。
もともと転勤族で、小学生くらいまでは家族みんなであちこち転勤のために引っ越して、たまたま群馬に来て、その先は父親だけ単身赴任に行ったりして。
小学2年生まで6年間札幌に住んでいたこともありました。

いわゆる「転勤族」で、いろんなところで暮らされてきたんですね。
そうなると、ふるさとと言える場所はないような感覚でしょうか。

そうかもしれないですね。
とにかくそういうわけで、出身と聞かれたら群馬と答えています。

世間へ感じた違和感

では、出身の群馬からなぜ隠岐の島に辿り着いたんでしょうか。

群馬で育っていく中で、
私は大学受験と就職活動のタイミングで
かなり周りや世間に対して、違和感を感じました。

違和感!
世間のどんなことに、違和感を感じていたんですか?

群馬で生まれ育っていても
大多数の人が、大学進学を機に地元を離れてしまうことに違和感を感じていました。

ほとんどの大学が都市部に集中しているので、
多少しょうがない部分はあると思うけれど、

就職のタイミングで地元に帰るわけでもなく、
そのまま都市部で就職してしまう。

なぜならば、有望な企業も都市部に集まっているように見えるから。

もしくは、
あたかも、豊かな生活ができる場所が「東京」かのように喧伝され、憧れてしまうから。

仲が良かった友達は、就職が済んだ頃には
もう誰も群馬には住んでいませんでした。

確かに、それは地方あるあるですね。
「とりあえず」東京で就職したい
「なんとなく」東京がいい
隣の芝は青いという感覚でしょうか。

地方出身の方の大多数は、東京の憧れが強いと思いますが、

眞壁さんがそこに違和感を感じられたのは、
何か原体験があったのでしょうか。

コロナ禍のドライブで感じた地方の豊かさ

はい、コロナ禍の大学時代にハマった「ドライブ」が原体験ですね。

あちこち自分の運転で山間部や海岸部を見て回って、地方の素晴らしさをたくさん味わいました。

どこも美しくて、
「こんなにいい場所なのになんで人口減少が起きているの!?」
と項垂れることばかりでした。

そうですよね、
東京よりも「豊か」に思える場所から、人が減っていくのは
不思議ですよね。

私はこれがずーっと違和感で、
引っかかっています。

散々人口減少、過疎化、地方の担い手不足と勉強してきたのに、

私たちが選び取りやすい進路は
その逆で、東京一極化がますます進行している。

人が住んでいるのだから、
本当は地方に仕事がないわけがない。

でも新卒一括採用によって
就職活動も効率が求められ、
情報が淘汰されていく。
だからやりたい仕事が見つけられない。

確かに、地方の担い手不足は
日本全体が向かい合わなければいけない課題なのに、
大学も、人材紹介企業も
都心の有名企業に人を集めようとする構造になってしまっていますね。

はい。
豊かさの基準も書き換えられて、
みんなが人生や仕事に求めることは
「安定」だとか、「給料」や
「福利厚生」という面が強くなっていった。

そもそも人生の大部分を仕事がしめるのに、
自然が遠い環境で、そんなものを追い求めていくの、、?という疑問。

大学時代はそんな葛藤に揉まれまくってましたね。

「豊かさ」って、本来は、人それぞれで、
自分が求める豊かさが得られる場所を探すのが、就職活動であるべきですよね。

しかし、その理想とかけ離れている現状ですから、
あまり就職活動はうまくいかなかった?

ですね。
そのモヤモヤを抱えているから
東京の企業には惹かれないし。

だからと言って、
地方で自分がやりたい仕事を獲得することも至難で。

「地方で働きたいけれど、いい仕事が見つけられない」ということですね。

こんなチャンスは2度とない
「起業したい人」の募集との出会い

それで、「カフェを自分で開いてみたい」
という淡い夢を持っていたこともあって、
「いつかは起業したいなぁ。」という気持ちが芽生えました。

じゃあ起業には何が必要かっていったら、
元手が必要。
「若いうちは貯金のために我慢して働くか、、、」なんて考えていました。

そんな時に、
「隠岐でカフェの起業をしませんか?」
という求人に出会ってしまいました。

名前も聞いたことがない離島で、
「初期費用なしで起業できます」という内容。
もう運命だと、
一生こんなチャンスに出会えないと思いました。

起業のためには
元手を用意して、借り入れをして、
立ち上げ準備をしなきゃいけない。
だから、
「若者じゃ無理なんだ」と思っていたんですが…

でも隠岐ならそれができるステージがあったわけですね。
運命的ですね〜!

ですね。
そんな仕組みは、
見たことも聞いたこともなかったです。

しかも場所は島根の離島、隠岐。
知らない場所でした。

「でも日本史で一回勉強したことがあるかも?」
「じゃあなんで知らないんだ?」
「もしかして、歴史に登場するくらいすごい地域なのに、知られていない?」
「これから伸びる地域なのかも?」

と思えたことが追い風になり、
気がついたら応募していました。

これが私が隠岐にたどり着いた所以ですね。

悩み続けていたからこそ、
知らない環境・他ではありえないような条件の求人に
飛び込めたのかもしれないですね。

隠岐にたどり着くまでの、その葛藤が、
今の眞壁さんを作り上げているんですね。

自分が欲しかった、
”地方の受け皿”を、自分たちでつくる

私と同じように、地方に対して、東京に対して、
もやもやしている人の受け皿になれるようになっていきたいです。

地方の魅力を感じながら、
「地方に何かできないのだろうか」と悩んでいる方と、ぜひ働いていきたいですね。

求人に応募して3週間後、隠岐で面接を受けるために人生で初めて乗ったフェリー。
緊張で吐きそうだったのに、美しい船旅で全部晴れた。

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