
今はただ書いてみる
ずっと無遅刻無欠席だった派遣の仕事を初めて休んだ。まったく仕事へ行く気がなくなってしまった。派遣先の担当の人に電話して「今精神的に参っていて、仕事に行ける状態じゃなくなってしまいました。今月20日に心療内科を予約したのでとりあえずそれまでは休ませてください」と伝えたのは、その後体よく仕事を辞めるためのでっち上げだ。
所持金は口座にある分も含めて3万円程度。有給を全部消化してもひと月の給料の半分くらいにしかならないだろう。こういうとき、普通なら不安になって別の仕事を探しだしたりするところだが、今は何もやる気がしない。ただ、辛いわけでもなく、絶望しているのでもない。
今年で50歳になる。気づいたら禿げ上がって白髪だらけのただのおっさんになってしまっていて、鏡を見るたびにその老けっぷりにびっくりしてしげしげと自分の姿を見てしまう。若いころ、50歳といえば盤石な生活基盤があり、精神的にも十分に成熟した姿をイメージしていたけど、僕自身はまだ成人すらできていない未成年のような心持ちで生きている。僕は自分のことがちっともわからないまま50歳を迎えようとしていたのだ。
でも今日仕事を休む(その後フェードアウトする)ための電話連絡や有休の手続きをしながらわかったことがあった。50年生きてやっとわかったこと。「僕は普通に勤めることが苦手な人なんだな」。
小学校の卒業文集に将来の自分の夢についてイラスト付きで書きなさいと言われ、僕は最初「歌手」と書いてスポットライトにあたって歌っている自分のイラストを描いた。でもすぐさまそれを消して、「普通の人」と書いてメガネをかけてネクタイをした自分に描きなおした。でもやっぱりと思い直してもう一回「歌手」に書き直したんだけど、最後にもう一回「普通の人」と書いて提出した。その時のモヤモヤした気持ちを思い出した。子供のころからずっと周囲と同じではない違和感はあった。でもそれを克服して人並みになることが正しいことだとずっと思っていた。
もう何もかもやり直すことがむつかしく、引き返せない程歳をとってしまったのに、条件の良い仕事を辞め、お金もない状態の自分を正当化するためにこんなことを考えているのではない。むしろこんな自分を認めることができてしみじみとうれしくなっている。ずっと心の奥にしまっていた本当の自分が顔を出して、「やっとみつけてくれた!」と喜んでいるように感じている。これはとても不思議な感覚だ。
今日はとにかくこのことを書いてみたくなった。また何か書くかもしれないし、書かないかもしれない。とにかく僕は今日、自分の中の重要な一面を知ることができた。じゃあそれを踏まえてどう生きていくのか、少ない所持金と有休消化分の給料で食いつなぎながらじっくり考えたいと思う。今日のところはこれで満足だ。