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才能×効率×時間=成果
成果を出すのは単純です。
「時間をかける」
この1つに集約されている、と言って過言ではない。
私は教員をして14年間が経ちました。才能のある教員、生徒を見てきました。恐ろしくて効率のいい教員、生徒たちも見てきました。自分には3時間ぐらいかかるような仕事も1時間ぐらいで直ぐに終わらす人たちも見てきました。
羨むこともあります。
自分と人を比べることもあります。
自分の不甲斐なさを恥じることなど数知れず・・・
その人たちはどんどん成果を出します。才能があったり、効率が上がる方法を知っている人たちはどんどん先に進んでいきます。
それをうらやむ私の様な凡人は、同じにようにしたりするのですが、いかんせん凡人には才能や効率のいい方法を編み出すべくもなく、効率の悪い方法を続けていってしまいます。
けども、ドン臭い私ですが時間をかけた仕事に関してはミスが少なく、多くの人に感謝をされ、仕事を楽に終わらせることができます。
何故、学校での勉強の時は、あれほど「毎日1時間は家庭学習をしよう」とか、「予習・復習が大事だよ」とか、「色んな学習法を試して、自分に合った方法で勉強をしよう」とか、「反復が必要だ」とか、色んな勉強を学んだのに関わらず、自分がいざ新しいことを学ぶときは、
「どうやって仕事を進めていいか分からない!」
となるのか?
学校で学んだ、その正攻法をそのまま使えばいいと思う。
世の中の事と言うのは、案外単純だったりする。
時間をかけた先に
時間をかければかけた分だけ、いかに自分のやり方が非効率なのかが分かる時があります。
時間をかければかけた分だけ、どこの部分がスキップしても大丈夫なのかが分かる時があります。
時間をかければかけた分だけ、他の人がやっている効率的な方法の本当の価値が分かる時があります。
時間をかければかけた分だけ、その活動の価値を理解することもできます。
時間をかければかけた分だけ、他の凡人が何故同じような行動を取るのかがよく分かります。
人は自分の納得した分しか、先に進めないものだと思います。
例えば、仮に夜型の人間が、朝型で超絶成果を出している人から、
「朝早くの方が効率が上がるから、朝に仕事をした方がいいよ」
と言われたとしましょう。
自分は長年夜型で生活をしている為、自分の生活スタイルを変えようとは思わないでしょう。
「あなたはあなた。私は私」と。
しかし、あなたが自分のスタイルで全く成果がでない、健康を害して、にっちもさっちもいかない時、やっと自分のスタイルに対する疑問がでてくるのではないでしょうか。
人間はそんなものだと思います。
だから自分が信じる道をどこまでも進み、頭を打った時に自分の周りを見る余裕を持てばいいと思う。
逆に頭を打つ前に自分からやり方を変えようとしても、納得がいかないことは私たちはできないようになっていると思います。
だから、自分が納得する方法で納得のいくまで納得のいくだけ、進み続けた先に自分の最も納得のいくやり方が見つかると思います。
14年かかった先の、私の結論は最終的には、私の様な凡才は、時間をかけるのが一番だとやっと納得がいきました。