「どこを旅するかよりも、誰と旅をするかが重要」って、ほんとうなの?
「どこを旅するかよりも、誰と旅をするかが重要」
尊敬する憧れの人がそう言ったから、
しばらく「私っておかしいの?」と悩んでいたことがあった。
私は違う……!
どこに行くかがとても大事で、誰と行くかはあまり……。
だから、私が行きたいところに興味を持ってくれる友だちがいないときは、
ひとりで旅に出ていた。
たいてい、いつもひとり旅になった。
今日は、私にとって、なぜ「どこに行くか」が大事なのかを徒然に語ります。
見たい景色があるから、私は旅に出る
旅の始まりはいつも、「ここに行ってみたい!」「この景色を見たい!」だ。
私の初の「人生を変える旅」になったイギリス・コーンウォールへの旅は、
大学生時代にアルバイト先で見た『週刊朝日』のグラビア記事が始まりだ。
(こんな細かいことまで覚えてるwww)
漠然とした憧れを感じていたモン・サン・ミッシェル
(これはフランス・ブルターニュになるけれど)
そことそっくりな場所が、イギリスのコーンウォールにあると知って、
(その名もセント・マイケルズ・マウント。そのまんまwww)
いつかここに行きたい!
と思ったのだ。
それが実現したのは、実に15年も経ってから。
イギリス好きが集まるサークルの新年会にたまたま参加して、
その夏のグループ旅行の行く先がコーンウォールと知り、
即座にサークルへの入会を決めたのだった。
そのときの旅の話は、こちら。
https://note.com/nobuyofujioka/n/n317c8b8ef786
そこに行けば、行きたかった理由がわかる
初めて訪れる場所なのに、懐かしいという気持ちになる。
自分がかつて、ここにいた気がする。
そんな経験は、旅好きの人なら覚えがあるかもしれない。
20代の後半、イタリアのアッシジで、夜の広場に佇んだとき
ぼんやりと、自分は昔、修道女だったなぁと思ったことがあったし、
10年ほど前、シェトランド諸島のメインランドで
はるか昔、この地は開かれた国際都市だったという感覚を覚えたこともあった。
コーンウォールに行ったときは、
半島の先のシリー諸島に渡って、数日、島めぐりをしたのだけど、
そこで見た砂浜の風景がなぜか強く残り、
その後に訪れたセント・アイブスのアートショップで
いくつか風景画のパンフレットを購入した。
自分が感じたものを、形にして持ち帰りたかったのだと思う。
そのパンフレットは、何度見ても、すごく好きだという気持ちになる。
(本当は言葉にならない感情なのだけど、便宜的に好きと言っておく)
目にとまるところに飾って、何度もその感情を味わった。
なぜ、そんな気持ちになるのかはわからない。
でも、その気持ちが、シリー諸島を私にとって特別な場所にした。
思いがけないところで、あの風景に再会する
シリー諸島に行ったのは、今から16~17年前くらいだと思うのだけど、
それからしばらくして、
思いがけない場所で、あの風景に再会することになった。
当時勤めていた出版社の先輩からの繋がりで、
版画作家さんと知り合い、作品展に遊びに行ったときのこと。
彼女の作品の一つに、私は、大好きなあの風景を見たのだ。
「大好きなコーンウォールの風景に似ているんです」
嬉しくて、思わず出た言葉に、
版画作家さんは、
「コーンウォールの風景にインスピレーションを感じて作品にしたんです」
あぁ、同じように何かを感じる人が、ここにもいる。
私はその作品を、家に飾ることにした。
その土地と繋がることのほうが大事
この旅と、旅の記憶には、「誰と行くか」はまったく関係ない。
どこに行くか、そこで何を感じるか。
私の記憶に残るのは、そちらのほうが先なのだ。
そもそも、いつも仲良しの人と旅に出て
誰と過ごすかのほうが大事だとしたら、
わざわざ出かける必要なくない? 日本で、いつもの場所で、よくない?
私は、憧れのあの人と考え方が違うけれど、
私にとっての正解は、これでいい。
だって、私がこれから一生をともにするのは、
憧れの人の言葉じゃない。
私自身の感覚と、感情だからだ。