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僕が書いた本4 空前の大ベストセラ―の陰に小林信也あり

小林信也「スポーツライター塾」開講!
「作家の学校」HP

4冊目の単行本は《消えた天才ライダー 伊藤史朗の幻》
僕が書いた初めてのノンフィクション単行本は、CBSソニー出版から出た《消えた天才ライダー 伊藤史朗の幻》だ。十数年間、行方不明になっていたオートバイレースの元世界王者の居場所を突き止め、独占インタビューができた。雑誌『サイクルワールド』の連載に加筆してまとめた単行本。これについては別のシリーズ《”天才”ライターの軌跡》で書いたので、そちらを読んでご参照ください。
“天才”ライターの軌跡12 小林信也   消えた天才ライダー伊藤史朗の幻|小林信也
"天才"ライターの軌跡13 小林信也       消えた天才ライダー・伊藤史朗を追って|小林信也

BRUTUSの連載が単行本になった
僕にとって5冊目となる単行本は、河出書房新社から出してもらった《ヒーロー工房 スポーツコラム23》だと思う。
これは、雑誌BRUTUSに連載させてもらった同名コラムから本に相応しい作品を選んでまとめた本。これも編集者の刈部謙一さんが、河出書房新社に提案し実現してくれたものだ。
刈部さんと最初に会った若手編集者は、無名の僕の本の出版に後ろ向きだった。あまりに侮辱的な言葉だったから正確には忘れたが、「君が本当に将来、著名なスポーツライターになる器ならまだしも、どうだかね」といったニュアンスだった。そう言われて、僕は抗弁する気も言葉も持たなかった。けれど、刈部さんがさらに上席の編集長か部長クラス?の小池信雄さんに話を通し、その小池さんが「これは面白い」と受け入れてくれて出版が実現した。

新進気鋭のスポーツライター登場!
この本は、1987年5月8日に初版が発売になっている。僕が30歳の春。契約スタッフだったNumber編集部を離れて完全フリーランスになって2年目。
いくつかの雑誌の書評で取り上げてもらえた。「新鋭スポーツライター登場!」と帯に書いてもらった。好意的な書評を書いてくださった著名な書き手の方もいて、力を与えられた。
BRUTUSの連載やこの本を読んで、新たな原稿の依頼をしてくださった編集者は複数おられた。お蔭で、僕は少しずつ仕事の場を広げることができた。
でもこの本の最大の思い出、いや苦い記憶は、ほとんど誰も知らないところにある。それを口外するのも、今日書くのが最初ではないだろうか。

同じ日、同じ出版社から発売された、もう一冊の本
1987年5月8日、河出書房新社からもう一冊、新鋭の本が出版された。
同じ日、同じ出版社から、二人の新鋭が単行本を出した。うち一冊(僕の本)は少し話題になったが、あまり売れなかった。もう一人は、社会現象にまでなり、文壇の歴史的な出来事としていまも記憶されている。
『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』などの短歌に代表される俵万智さんの《サラダ記念日》。
僕の本は初版8千部(?)で重版なし。《サラダ記念日》は280万部と言われる空前の大ヒット。この本が話題になるたび、僕を見下してくれた最初の編集者の嘲笑が聞こえるようで、うなだれる思いだった。そして、小池さんに申し訳ないというか、いつか恩返しをしたいとずっと思い続けている。

《サラダ記念日》の再来もあった!?
悔しいけれど、同じ経験を僕はもう一度している。ついでに告白しておく。
2001年9月1日、草思社から僕は《眼が人を変える》という本をビジョン・トレーナーの田村知則さんと共著で出した。日付は5日ばかり違うが、ほとんど同じ時期に、同じ草思社から出版された本が、これも空前の大ヒットとなり、出版界の歴史に刻まれる出来事になっている。シリーズ累計260万部を超えたといわれる《声に出して読みたい日本語》(齋藤孝著)だ。
要するに僕は、「天才に寄り添い、天才を天才として輝かせる陰の力となる」という役割を担っている。その宿命を象徴するような出来事なのか、と半ば茫然とする思いで受け止めている……。
空前の大ヒットを生み出したかったら、僕の本を同じ日に出せばいい。

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