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【800字コラム】 ラスト・サムライたちの夏(3)

田中静壱陸軍大将・東部軍管区司令官は陸軍のエリートコースを歩んできた。

陸大優等卒業の栄典としてオックスフォード大学留学を許され、米国駐在武官時代にはダグラス・マッカーサー参謀総長とも親交があった。

昭和20年3月、東日本の本土防衛を担う東部軍管区司令官に就任するも、相次ぐ空襲を防げず帝都は壊滅。宮城まで被災して進退伺を提出したが、天皇陛下ご自身が慰留なさったといわれる。

田中の執務室は東部軍が接収した日比谷の第一生命ビルにあった。

8月14日。ご聖断が下ると田中は副官に声をかけた。
「阿南大将がどのように自決なさるか聞いて来い」

副官が陸軍大臣官邸を訪れ来意を告げると
「武士の作法に則り、十字に腹を切って頸動脈を切る」
「介錯はどのように」
「そんなものは要らん。人の首を旨く切った奴などおらん」

報告を受けた田中は
「そうかー、やっぱり切腹か。俺も阿南さんみたいに旨くやれればいいんだが、腹を切るのは痛そうだなぁ」

その夜、陸軍省と近衛師団の一部メンバーによる宮城事件が発生。
田中司令官は丸腰で宮城に乗り込んで反乱軍を鎮圧、クーデターは未遂に終わる。

前後して、阿南陸軍大臣は宣言通り官邸で切腹を遂げる。 

玉音放送が無事に流れた8月15日夕方、蓮沼蕃侍従武官長侍立の下、田中は拝謁を賜る。
「今朝の軍司令官の処置は誠に適切で深く感謝する(中略)。田中よ、この上ともしっかりやってくれ」

天皇陛下は「ご苦労」と仰せになることは間々あるが、陸軍のトップでさえない人間に「深く感謝」とは極めて異例のお言葉だった。

陸軍の一部の反乱行為は8月15日以降も散発していた。その最後となる8月24日のNHK川口放送所占拠事件を鎮圧した夜、田中は司令官室において拳銃で自決。享年57。

辞世「聖恩の忝けなきに吾は行くなり」

ワシントンでの知己だったマッカーサーがその部屋に乗り込むのは、終戦からちょうど1ヶ月経った9月15日のこと。

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