100年に一度の洪水と、日々の川の恵み|編集者のこぼれ話③
『長良川のアユと河口堰 川と人の関係を結びなおす』の編集を担当しました、農文協 編集部の馬場です。第三話は長良川流域の「水文化」の話。
*本連載の過去記事はこちら↓よりご覧ください*
どんな川にも神様がいる
今年は辰年ですが、十二支のなかで唯一、神話世界の動物(神獣)であるのが龍であり、水を司る神、水神様として古くから信仰されてきました。2001年に公開され、第75回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞した、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」にも、川の神(龍)が登場します。各地に龍神伝説が残っていることは、日本が「水の国」「川の国」であることの証ともいえます。本書の「おわりに――近くて遠い川と人の関係を結びなおすために」のなかでも、編者の蔵治光一郎先生が長良川の龍神伝説を、このように紹介されています。
「輪中」の水神様とともに
私は今、東京在住ですが、本籍地は父の実家がある岐阜市曽我屋のままにしてあります。曽我屋は、広大な濃尾平野の北部、長良川と支流の伊自良川、糸貫川に囲まれた「河渡輪中(ごうどわじゅう)」の一集落です。「輪中」とは、毎年のように水害にみまわれた濃尾平野で集落と農地を堤防で囲んだ地域(治水共同体)のこと。1700年代以降、河渡輪中では水害が多発しましたが、築堤や排水の工夫などで家や田畑を守ってきました。「曽我屋横小堤」もその一つで、北からの浸水を防ぐために村の北端に築かれた小高い堤です。昔、父と横小堤に行き、その話を聞いた記憶があります。
曽我屋は、かつて長良川の支流だった根尾川が形成した扇状地の末端に位置し、父が子供の頃(昭和30年代)には、まだ「ガマ」(河間)と呼ばれる清冽な湧水池が至る所に湧いていました。ガマの水は年中冷たく、青く透き通っていて、地の底深くまで続いているように見えたそうです。そこには、綺麗な水にしか棲まない希少種のハリヨ(可愛らしいトゲウオの一種)がたくさん泳いでいたといいます。集落には、水神を祀る貴船神社や、渡舟の安全を祈り建立されたと伝わる津神社があります。
川の恵みと災いは表裏一体
この地域では、ひとたび堤防が決壊すれば、被害は甚大になります。大雨で増水すると地域の水防団、消防団が出動し、昼夜を問わず土のうを積んで決壊を防ぐなど、必死に活動してきました。大洪水のときには堤防がぶよぶよになり、濁流を受けて揺れたと聞きます。一方で、洪水になると長良川の岸辺にアユが寄ってきてタモ(手網)で容易にすくって捕れたり、集落の川が増水するとコイ、フナ、ナマズが田んぼまで上がってきてたくさん捕れたり、川の恵みと災いは表裏一体でした。今より集落の結びつきは強く、田植えも集落総出で、子供だった父も参加して楽しかったそうです。
たくさんあったガマは、圃場や道路を整備する過程で埋められ、地下水の工業利用で地下水位も低下して、姿を消しました。集落の川は三面張りの水路になりました。それでも祖父と父は、私と妹らをよく川に連れていき、釣りや水遊びを通して、川とのつきあい方、川の怖さと楽しさを教えてくれました。私の記憶は、きわめて断片的なものですが、長良川流域には今もたくさんの知恵が生きています。本書のなかにも、往時の写真や漁師の語りなどの形で、長良川の水文化がちりばめられています。
*河渡輪中に興味のある方はこちら↓もご覧ください*
日々、「残念な川」でいいのか
今、温暖化の影響で、洪水の頻度も規模も大きくなってきており、「国土強靭化」の一環として各地で河川整備が進められています。岐阜大学の原田守啓先生は、本書の「温暖化が長良川にもたらしたもの」の第8節「川がもたらす恵みと災いのコミュニケーションを」のなかで、次のように述べられています。
長良川が直面している問題は河口堰だけではありません。本書は川の「今」に光を当て、地域で議論する材料を提供しています。長良川流域には、そこに暮らす人の数だけ、川とつきあう知恵や思いが存在します。それらを持ち寄り、川と人の未来を語り合えたなら、きっといい答えが見つかると思っています。
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