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ライフワーク。

通勤電車の窓越しに学生時代がふと浮かぶ。
当時は4年に1度、ドカ雪が降る金沢で6年間学生時代を過ごした。
金沢21世紀美術館が開館していた。
(卒業間近には、鈴木大拙館など)
美術館は市民に開かれた公園のような場所に、課題に行き詰まったりしたら歩いてよく向かった。
特にオラファーエリアソンやジェームスタレル、インゴマウラーが大好きだった。
自然光や人工光を取り入れたアーティストや照明デザイナーに憧れた。
計算され尽くしたディテールとそれを解放するかのような自然光の自由さ、無頓着さ。
常に変化し続ける空間の提示。
・・・
21世紀美術館にある、
通称タレルの部屋で大体いつものところに座り、
よく空を見上げた。
ここは天井面を四角く切り取っただけの半屋外空間で、四方ぐるりと石のベンチが設置してある。
壁は白く、天井も高い。
光が差すと四角い光が部屋の中に様々な表情を魅せる。ある時は大きな光の塊として、ある時は淡く尖った光が壁を自由に動きまわる。季節によって表情が変わっていく無機質な空間に豊かさを感じた。雪や雨の日は、心の中で「やった!」と思って急足でここへ向かった。金沢は曇りや雨の日が多いので長く滞在する観光客や地元の人は少ない。
誰もいない部屋で、雨の反響音や床に出来た雨だまりが空を映し込み、自然(空)と繋がる空間が生まれた。来るたびに、表情が違う空間に強く惹きつけられた。
・・・
大学の恩師が学生時代に光に興味を持っておられ、色々なお話をしていただいた事を思い出す。
そのうちに「光や闇」といった陰翳礼讃の世界にも興味が湧き、より一層光についての関心が強くなった。
常に学校の課題は、光を絡めて作品を作った。
ほとんど光や闇、そして余白などの体感がテーマとなっていた。
修了作品には、光に包まれるような体感型のインスタレーションを制作した。
講評会では、評判は良くなく。
皆の前で、悔しくて泣いた。
今思えば、分かるところもある。
教授陣はそのドロッとしたアートの先のデザインが見たかったのだろうか。
けれども充分に試行錯誤した、
当時の等身大なりのものは創れた。
それで良かった。
・・・
空間づくりの上では、光(照明)は最後の仕上げ的存在。予算が削られる対象にもなりがちだ。
しかし、そこを手抜きしてしまうと全く普通の空間になってしまう。
照明はあって当たり前の世界の中で、 
どう人の心が動くか、動かせるか。
感動を産むのはそうそう難しいことだけれど、
語らない強さ、優しさみたいなものが光にはあると信じている。
心から落ち着ける、
純な光空間をいつか創ってみたい。

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