美大祭がある11月はいつも寒くて、雨も多かった記憶がある。構内の通路にひしめき合う出店が夜に連れていつもカオス状態になる。サンバ隊が楽しい音を奏でながら街を行進するのが毎年の恒例行事だった。私も入学当時から卒業までずっと参加した。街中で鳴らす音は格別心地よい。 良い時代だったなと思い返しながら 今年に取り壊しとなる、 6年間通った大学校舎の最後を見に行った。 ・・・ 金沢に降りたってすぐ、 谷口吉郎・吉生記念建築博物館へ向かった。 犀川を水盤越しに望む風景はとても穏やで、
設計図。 設計図とは何か。 空間を作る上で重要な事の出発点は、 どういう空間を作るかというコンセプトイメージであり、それを具体化していくものが設計図だろうか。 色々な図面の種類があり、お客さん用や業者用など様々である。基本図面はお客さんとの合意を取る為の図面、いわゆる意匠図面。 堅苦しいイメージがあって、ほとんどの人にはわかりづらい。例えば打合せで、ここをこう変更しました。と言っても「あぁ、そうですね〜。」くらいの反応。まぁプロなんだし、任せよう、みたいな無意識のところ。
豊かさの先に。 秘境に住む人を特集する番組、最近結構ありますよね。生まれた時から大自然に囲まれた日本家屋。当人にとってはありふれた日常の景色。 集落だったところが、過疎化の影響で一軒しか残らなかったり、無くなってしまったりと。 こういう状況は各地で広がっている。 そういったところにフォーカスを当てることで、 マクロな現状が垣間見える。 空き家を活用する移住支援もありますよね。 町おこし、町づくりの一環として市が援助してくれる制度。 ・・・ 今や都心部や駅近の分譲地で家を買う
最近の頭の軸に置いていること。 ・・・ 人生のテーマは何か? 自分の人生観の中でどう暮らすか? ナガオカケンメイさんのvoicyを聞いていて、 とても共感した事がきっかけである。 住宅設計をやっている手前、 なかなか難しい問いで、まだ答えは出ていない。 描きながら、作りながら。 更新していこうかなぁと思います。 でもとりあえず、一回言葉にしてみようと。 ・・・ 5年先、41「起、縁、種」 一級建築士として、小さく起業し、 大小種類問わず、設計者として品のある長く愛さ
通勤電車の窓越しに学生時代がふと浮かぶ。 当時は4年に1度、ドカ雪が降る金沢で6年間学生時代を過ごした。 金沢21世紀美術館が開館していた。 (卒業間近には、鈴木大拙館など) 美術館は市民に開かれた公園のような場所に、課題に行き詰まったりしたら歩いてよく向かった。 特にオラファーエリアソンやジェームスタレル、インゴマウラーが大好きだった。 自然光や人工光を取り入れたアーティストや照明デザイナーに憧れた。 計算され尽くしたディテールとそれを解放するかのような自然光の自由さ、無頓
大阪で就職した11年前。 大阪の印象と言えば観光でしか行ったことがなく、あまりなかった。 大学の先輩の引越しの手伝いで金沢から車で大阪へ向かった。ビルの夜景が綺麗な大都会だった。 就職し、大学の先輩たちは幾人かいたが会うまでは行かなかった。 一人で始まった社会人。 休みには、学生時代から通っていた東京銀座のショウウィンドウ視察や気になる展覧会があれば好んで足を運んでいた。 やっぱり仕事以外の繋がりや刺激が欲しかった。 ・・・ ある日の休日。 大阪にあるインテリアショップにたま
ある日、妻と出かけた電車の中で ふとこんな言葉をメモした。 「舌に合うから美味しい」 どんな経緯でこの話に至ったか覚えていないが、 日々の食事について話していた時だったか。 ・・・ ウチの人はとても食材にこだわる。 調味料、食材、クエン酸、、、と。 永く健康でいるために色々と調べては、色々と買って、自分で作って試している。 新しいことの取り入れ上手だと感心する。 私もその影響もあるし、震災以降、自分たちでしっかり考えて何が自分たちにとって良いことかを考えてきた。とは言え、コン
皆様こんにちは。 誰に向けてと言う訳でもなく、 ふと思い立って書いています。 どんなプラットフォームになるか分からないけれど、小さく発信出来たらなぁと思います。 ・・・ 設計の仕事を始めて11年。 転職2回、出戻り1回。 三重(地元)→石川(大学)→大阪(仕事)→京都(家)→滋賀(仕事)→ 様々なジャンルの設計に携わるチャンスがあり、 泥臭くつまみ食いしながら、ゴソゴソと何とか自分なりの道を進んできた。 長続きしない性分なのか、一ヶ所に留まることが苦手なのか、目指す目標が変