第10章 考え方6 同じ結果なら多くの人が関わるほうがいい
偉大なことを成し遂げるためには、多くの助けが必要です。歴史に名を残した人物たちも、自分だけの力でそれを成し遂げたのではありません。まわりに助けてくれるさまざまな人々がいてこそ実現したことです。
サーバントも、より多くの人が関わって、みんなの力をあわせて成し遂げることを選びます。では、そのようなふさわしい協力関係は、どのようにして得られるのでしょうか。
思い切って助けを求める
まず、支援の必要性をはっきりと呼びかけることです。何が不足しているのか。いつどこでそれが必要なのか。どういう原因があるのか。どういう助けを必要としているのか。はっきりと伝わるように、明確にすることです。どんな助けが必要か分からなければ、助けたくても、助けようがありません。
といっても必要を明確にするのは、言うほどかんたんなことではありません。不足があることはわかります。でも何が不足しているのか理解するには、また違った努力が求められます。冷静になって見直してみる必要があるでしょう。こんがらがった糸をほどくように、どこに一番の原因があるのかを突きとめます。自分たちだけで客観的に見ることがむずかしければ、信頼できる外部の人に状況を見てもらい意見をもらうこともよいでしょう。
本当の必要を見つけることができたら、今度は実際に助けを求めます。助けを求めることは「自分ひとりではできません」と能力不足や限界を告白することになります。できないという現実を人に知られるのは、かっこうの悪いことです。自分で立派にやり遂げて「すごい!」と称賛されるほうがいいに決まっています。
「私は人を助けようとしているのであり、自分のためにいい格好をしようとしているのではない」
サーバントは葛藤しながらも、本当の必要を明らかにし、助けを求めます。自分の見栄と強がりによって、取り組みを限られたものにしません。思い切って、素直になればこそ、それを意気に感じて応えてくれる人たちが出てきます。
ビジョンを繰り返し伝える
さらに求められるのは、ビジョンを伝えることです。何を目指しているのか、必要を満たして何を実現しようとしているのか、そのことにどれだけの価値があるのか、という大きな目的です。
故障して動かなくなったオンボロの車をわざわざ高いお金を出して買う人はいません。でも歴史的な名車で非常に価値のある車であれば、話は別です。どんなに高いお金を払ってでも手に入れて、必要なところをすべて修理し、ピカピカに磨き上げて、自慢のマイカーにするでしょう。
同じように、手がけている取り組みの大きな目的と本来の価値を伝えるならば、それに賛同する人が現れてくるものです。
万人受けするビジョンにしようとすると、どうしても一般的なものになり、「ふーん」と受け流されてしまいます。むしろ一部の人に対してではあっても、心にグッと迫るような、情熱のこもったメッセージが求められます。心から願っていることを、借り物の言葉ではなく、自分自身の言葉でストレートに語るとき、相手の心にその言葉が届いていきます。
ビジョンを伝えるには、それなりの準備が必要です。繰り返し語る中で、何をどのように語れば伝わるのか理解できるようになり、表現もこなれてくるでしょう。何が伝わったか、相手に尋ねてみるのも役立ちます。そうやって、志を伝える言葉を見つけましょう。あなたの歩みを助ける、何よりの宝になるはずです。
ビジョンが示されると、本物の賛同者たちが集まって来ます。同じビジョンを自分のものとして共有した協力者たちは、自分から積極的に関わりを求めます。どうやって自分自身が貢献できるかを探り始めるでしょう。ビジョンは人を巻き込み、動機づけ、主体的な関わりをもたらします。
サーバントは、大きなビジョンを語ります。仕えるべきだ、貢献するべきだと説教じみたことを言いません。そんなふうに語る必要がないのです。人はふさわしい機会を見つければ、自分から貢献し、仕える歩みに立ち上がると信じています。明確なビジョンは、そういう関わりの機会を見つける大きな助けになるものです。
信頼して責任を任せる
必要が明確になり、ビジョンが共有されたならば、賛同してくれる人は具体的な関わりを始めるようになるでしょう。となると、次に必要なのは、信頼して任せることです。
責任の移譲は、想像以上に難しいものです。任せた人のやり方と私のやり方とは違うでしょう。「そのやり方はダメだ」と口を出し、余計な指導をしたくなるものです。それでは任せたことになりません。せっかくやる気になってくれたのに、やらされている気分になってしまうでしょう。
任せた以上、サーバントは結果を求めますが、やり方は問いません。相手の主体性を尊重しながら、任せた責任を果たせるようにサポートします。
サーバントは、多くの人に関わってもらうことの三つの意義を自分に言い聞かせます。
まず、関わる人が多ければ多いほど、一人ひとりは自分の担当のことに集中できます。その結果、より専門的な取り組みにつながります。人には、何の苦もなくできる得意なことと、どんなに努力してもうまくできない不得意なことがあるものです。多くの人が関わっていれば、それぞれ自分の得意とするところを担当し、不得意なところは他の人に任せることができます。こうして全体としてもより大きな結果を出すことができるでしょう。
二つ目の意義は、後々まで無理なく継続できるということです。協力者が多くなると、いろんな関わりが許されるようになります。深く関わる人はより一生懸命に取り組むようになるでしょう。浅く関わる人も気軽にお手伝いすることができるようになります。取り組みの裾野が広がります。一人ひとりが自分にとってふさわしい関わりを見つけることができ、無理をする必要がなくなります。こうして継続的に関わりやすくなり、全体としても息の長い取り組みになることでしょう。
さらに三つめの意義は、関わる人が多ければ多いほど、影響力が大きくなるということです。今協力してくれている人も、かつては傍観していた人たちでした。それがすっかり自分のこととして受け止め、当事者として関わるようになりました。取り組みの不十分さに苦悩し、成果をともに喜ぶ仲間になりました。意欲や情熱が、次々にそのまわりの人々にも伝染していきます。まわりのまだ傍観者だった人たちが、同じように関わりに招かれていきます。こうして、さらに多くの人に思いと取り組みが共有され、影響力を増していくことになります。