ストーリー22 サックスプレーヤーのトモヤさん
トモヤさんは、サックスプレーヤーとして活躍しています。コンサートには多くの人が集まり、アーティストたちと共演しています。でも、その前には長い下積みの生活がありました。
トモヤさんは大学の勉強をほとんどそっちのけにして、サックスの演奏に時間を費やしていました。プロのプレーヤーになりたかったのです。家族も友人も巻き込んで、とにかく多くの人に自分の音楽を聞いてもらえるように努力しました。ずっと長いこと、地元の駅前で路上ライブも続けていました。少しずつファンも増えていきました。ライブハウスにもお客さんが来てくれるようになり、同じ音楽仲間からもジョイントライブに出演依頼が舞い込むようになりました。
初老の男性がいつも自分のステージを見に来てくれていました。決まって左側の奥のほうで腕組みして立っています。楽しんでいるふうでもなく、顔色ひとつ変えないままです。ときおりノートを取り出して、なにやらメモをしています。ステージのたびに、トモヤさんはまず左側の奥の方にこの男性を確認して、それから演奏するのが習慣になりました。演奏するホールがどんなに大きくなっても、それは変わりませんでした。
だいぶ腕が上がり、実力もつき、自信をもって演奏できるようになった頃、初老の男性はパタッと来なくなりました。何か用事でもあって来られないのだろうと思っていたのですが、それから一度も姿を見せることはありませんでした。
「愛想を尽かされたのか。少しは喜んでもらえる演奏ができるようになったと思ったけど」
想像以上にショックなことでした。ちょうど卒業後の進路を決めなければいけない時期が迫ってきていて、そろそろ潮時かなと思うようになりました。これからは趣味で続ければいいんだ、と無理やり自分に言い聞かせ、もうこれ以上ステージの出演の予定を入れるのはやめることにしました。
最後のステージも近づいてきたある日、楽屋に見知らぬ中年の男性が訪ねてきます。
「先日、父が亡くなりました。長い間、場違いな父がお世話になって、ご迷惑をおかけしました。あの子は筋がいいんだ、といつも嬉しそうに話していました。ガンが進行中だったので、あまり出歩かないようにと家族は思っていたのですが。あんなふうに喜ぶ父の姿はあまり見ないので、ずっと止めずにいました。本当にありがとうございました。」
手渡されたノートには、今までのステージを見た感想がびっしりと記録されていました。そして最後のページには、夢をあきらめるな、と書かれていました。字は震えていましたが、しっかりと思いの込められた字でした。
トモヤさんは今、ずっと夢見てきたプロのサックスプレーヤーとしてステージに立っています。左の奥の方にあの男性の姿を思い浮かべて一礼し、いつも演奏を始めます。お決まりの曲は「夢をあきらめない」、あの男性にささげる曲です。
ほめられると調子に乗って、伸びるタイプです。サポートいただけたら、泣いて喜びます。もっともっとノートを書きます。