四天王寺02
地下鉄で「四天王寺前夕陽が丘」駅へ。この駅名は声に出して呼びたくなる駅名だ。参道を歩いて「釣鐘屋本舗」へ。四天王寺には昔世界一でかい釣鐘があってそれをかたどったのが釣鐘まんじゅう。その釣鐘は戦争で供出されその釣鐘堂は英霊堂となって戦没者を弔っている。
さてその釣鐘まんじゅう屋さんは、昔からの佇まいでかなりいい。釣鐘まんじゅう二個と、釣鐘カステラを買う。ベビーカステラみたいなのの釣鐘型。なんともかわいい。釣鐘煎餅もある。あれもかわいい。四天王寺行ったら皆さんぜひ買ってください。
そして四天王寺へ。本当は毎日金堂で11時からやっている「舎利出し」って法要に行きたかったんだけど、美味しいカレーを食べてしまい参加できなかった。(お舎利とは、お釈迦様のご遺骨のことを言い、このお舎利を頭に頂き、御仏のお導きを祈る厳かな法会のこと。)それも、舎利だしをできるお寺さんは別当をはじめ6人しかおられないとの事で次に行くときには参加しようと思う。あ、次の聖徳太子展で天王寺市立美術館行く前に行ったらいいのか。
その舎利だしが行われる中心伽藍の金堂。ここは昭和の有名仏師が作られたという昭和の傑作仏像曼荼羅であるというのを芸術新潮7月の「聖徳太子 日本一有名な皇子のものがたり」で予習をし、有り難く参拝できた。と、いうのも私に、時代がかかったものを素晴らしいと思ってしまう奈良脳があって、仏像が素晴らしいかどうかの前に昭和!とか思うだけで新しすぎる!あかんやん。。。って感じになってしまうんよね。国宝って書いてあったら有難い!っていうのから早く脱却せねば。国宝厨にならないようにせねば!
新しくてもここの金堂の救世観音の話が面白い。元あった仏像は焼けてるんだけど、その四天王寺の救世観音は素晴らしいと人気の仏像だったらしい。それで、それを描かれた絵や、それを模して作られた写しの仏像が日本にたくさんあって、それらを総合して作り上げたのが今の救世観音と四天王。なので、白鳳時代の大陸的なアルカイックスマイル。本当に素晴らしく御堂の中に入った時に建物が変わっても古からの祈りが同じ場所で連綿と続いているのを感じることができたわ。
今回の四天王寺詣。四天王寺は広いのでどうやって行こうかな?と思ってHPを見ていたら、聖徳太子マップというのがあった。聖徳太子に縁が深い御堂を回るマップで最後に中心伽藍へ行くようになっているのでそれをなぞって行く事にした。
引導石からmapは始まるんやけど、この昔から有名な石ってほんまに小さいのが多く、これもその類で写真撮るのを忘れたwくらい映えない石。しかし、これはこの石の上に棺を置いて鐘を鳴らしたら聖徳太子が亡魂を極楽浄土の世界に導くというものでだけど今は柵に囲まれてるので棺はおけなさそうw
そして、精霊院、これは四天王寺の復興伽藍の中で唯一木造の建物で立派で気持ちの良い御堂。四天王寺は七転び八起きのお寺と言われていて、それは火事、台風、戦争などで7度も五重塔は崩れ落ち、今ある五重塔は八塔目。最後に焼け落ちたのはこの前の戦争でその後、コンクリート建築で復興されている。聖徳太子が創建したときにできたものは何もない。。。と思われていたら、亀井堂の中の石の水槽。これが創建時から変わらず同じ場所に置かれていた事が最近分かったらしい。
この水槽は、弔いたい人の供養のために戒名を記して流す「経木流し」に利用されている。この石の水槽は亀の形をしていて、私が飛鳥で見た酒船石遺跡も同じ亀の形状をした石槽なのでその関連性も指摘されていて、祭祀施設で神仙思想にもとづいているんではないかと、飛鳥の亀とおんなじちゃうかと言われて調査されてるんやって!で、ここは写真禁止なのが残念だけど本当に素敵な場所だ。私も死んだらここに戒名を亀につけてほしいわ。。。と、思ったけどその場ではその経木流しのやり方がよくわからなかった。帰って調べたところ、コロナで入れなかった六時礼讃堂にて回向してから経木をもらって流すのらしい!!今度行くときは父親の戒名を書き記してから行こうと思う。
メモ)回向料:四天王寺では、塔婆の形をした経木(薄い木の札)に亡くなられた方の法名(戒名・俗名)をお書きし回向をいたします。その後、亀井堂にて経木を流していただきます。六時礼讃堂の回向料は5,000円~、北鐘堂・金堂等のお堂は3,000円~となります。また、経木は1枚毎に20円です。※お経木の枚数によって回向料が異なります。
たくさんの御堂を回ったけれど、中でも番匠堂という大工さんの神さんが素敵だった。ここは南無阿弥陀仏が全部大工道具で書かれていて、超かっこいよくてほれぼれする。
と、聖徳太子MAPと共に四天王寺を堪能。何度も何度も倒れては作り直される四天王寺に大阪の人たちの祈りのパワーを聖徳太子は天晴れと褒めてくれているに違いない。
21.7.4