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教員養成におけるゲートキーピング

教員養成でゲートキーピングするということ(教師になると子どもたちに被害を与える可能性のある教員志望者を教員にしないということ)の意味とその必要性について、Facebookに2つの文章をアップしました(投稿については下記をご覧ください)。多くの方に賛同していただきましたので、引き続き、ゲートキーピングの具体的な方策について記述します。
(写真は カナダのトロント大学 Centre for Teaching Support & Innovation にて2015年に Directer の Carol Rolheiser氏と)


ここには、ゲートキーピングの具体的な方法について、まとめます。

大学の教職課程の入門期の授業等で学生たちに伝えていたことです。
(ここに紹介する全ての内容をいつも行っていたのではなく、対象によってフレキシブルに組み合わせていました)

【責任】
1.教職に就くことの意味。
 成長途上である子どもの人生を左右しかねない、時に命に係わる仕事であるということ。
👈不登校や自殺の発生などの学校教育を取り巻く厳しい状況を統計などを示して解説し、倫理が問われるからこそ意義のある仕事であることを説明する。また、子どもの権利条約、日本国憲法、教育基本法等の解説をし、子どもの教育が、国際的にも国家においてもどう位置付けられているか、また、子どもの権利がどのように保障されるべきであるか、学校や教員の責務について考える機会を提供する。

2.学校教員は、必然的に児童・生徒に対する権力を持つということ。
 児童・生徒よりも知識や経験が豊富で、立場上も日常の行動を指示したり、成績評価をしたりすることできる上の位置にいるということ。自分が友達のような教師になるつもりであっても、その構造は変わらないこと。だからこそ、その言動には責任が伴うということ。
👈これは、大学の授業において、教員が学生に「こうするように」と言ったら学生が嫌でもその行動をとるという状況をその場で作った後に解説すると効果的。

3.これまで自分が先生に対して投げかけてきた批判は、教壇に立ったら、自分に降りかかってくるということ。
👈個人ワーク&グループワーク:小中高の自分の担任(できればそれ以外の先生)を全員思い出し、その先生の特徴とクラスの特徴、自分が考えていたことを表にまとめる。その中で、自分がこの先生はいいと思った先生は何割いたか。批判したくなる先生の割合から考えたとき、自分はこれから良い先生になれる可能性はどの位あると思うか。そのような先生に自分がなるためにはこれからどのような学びが必要だと思うかについて、考えるきっかけを与える。

4.担当する生徒の、担当教科の学力は、教員が保証しなければならないということ。
 もし、自分が教科の専門性を充分持っていない場合、子どもの学力は、教員の学力の反映であると知ること。教えたことを児童・生徒が学んでいないのは、児童・生徒が「ばか」だからではなく、ほとんどの場合、教員の教え方に問題があるということ。生徒の学びを生じない「教えた」は、教えたことにはならないということ。
👈「1+1=2でない例を挙げよ」というワーク。1個+1個=2個と教えることと1+1=2と教えることとの違いを考えさせる。教え方によって、小学校一年生は混乱するし、事実ではないことを教えることにもなる。
 あるいは、社会科の授業で政治をしっかり教えなければ、18歳で投票しようと思っても、どこに投票すればいいかわからず、人気投票になるか、あきらめて投票しない国民を作ってしまう、国語の授業で小説や法律や取扱説明書を読めないまま中学校を卒業させるとどういう人生になるか等について考えさせるというようなグループワークを、学生に合わせて実施し、いろいろと解説していく。

【制限】
5.世界中に教職以外の様々な職業があるということ。
 しかし10代では知っている大人が、親、親類、学校の先生、習いごとの先生、近所づきあいがあれば地域の人程度である。その人たちのついている職業位しか知らない中で、「先生になりたい」と思ったとしても、その「先生」像は、往々にしてこれまでに関わった十数人のうちの「自分にとってよかった一人の先生」だけである。
👈数人でグループワーク:山手線ゲームの要領で多様な職業を5分間でできる限り多く模造紙に書く。それらの職業のうち、お金が儲かる職業、楽な職業、楽しい職業はどの職業かを話し合い、教員の勤務条件(労働時間、給料、勤務地など)、業務内容、人生設計、やりがいなどと比較していく。

6.開放性教員養成の場合、大学4年間で他の学生の約1.5倍の単位が必要であること。そのために大学で自由な時間が減り、経験できることの幅が狭まる可能性があるということ。
👈4年間の生活時間を計算し、どのような時間配分で学生時代を過ごすかを考えさせるワークを実施。

【対人援助】
7.教員は対人援助職であるということ。
 特に小中学校までは担任の影響は大きい。自分の生徒時代を思い出し、先生と生徒とのコミュニケーションを思い出して、今後、自分が望ましい先生のコミュニケーションが取れるようになれるか、そのためにどのような努力が必要かを考える。
👈望ましい教員の生徒に対するコミュニケーションがどのようなものであるかも考えなければならない。担任と何人かの生徒が個人的に仲良くなる(愛情を競わせる)よりもむしろ、たとえ先生があまり好かれなくても、生徒同士が仲が良く、生涯、継続するような人間関係が作れるようにするにはどうしたらいいかなど、考えることは多い)

8.自分が他者に対し(特に意見や気が合わないメンバーに対し)、どのような感情を抱き、態度、言動を行う傾向があるか、自分の対人関係の特徴を認識することの重要性。
 グループを組めば、その中には必ず、自分と意見や気が合わない生徒(とその保護者や同僚)は必ずいて、そのこと自体は通常起こりうることであるが、そういうときに自分が折り合いをつけて日々を過ごすことができているか考える。
 また、そこから敷衍して、クラス担任は、数人ではなく30人程度の生徒と(中学校では一学年以上の生徒と)一年間毎日のように顔を合わせるが、自分と相性が合わない生徒、自分に嫌われた生徒がどんな思いをして一年間を過ごすか考えてみる。
(高校以上の場合は、担任の生徒の生活に関与する度合いが低くなり、コミュニケーション能力は限定的でいいかもしれないが、担任制の小中学校の場合は、特に注意が必要である)。
👈好きな者同士ではないグループを編成し、いろいろな人との出会いを経験させ、その中で自分の対人援助職としての適性を考えさせる。
 対人不安を抱えているような学生、コミュニケーションの難しさを抱えている学生は、このワークで、小中学校の担任は今のままの自分では難しいということに気がつき、履修を辞めるか、自分が変化する努力をするかの選択をすることになる。
 ただ、このグループワークを行うことによって、ほとんどのグループに温かい学生たちが残り、いい人間関係を作るので、対人不安を持つ学生やコミュニケーションに困難を抱える学生が、集団の授業が他の授業よりきついながらも、ここであれば自分でもいられると教職課程に残る場合が時折あり、その場合は、後に個人的な対応が必要となる場合があった。

 この位の内容(日常的にその都度行うため、ここに書ききれないが)を、教職の入門授業で行うと「とりあえず免許」と思っていた学生、基礎学力が低く努力したくない学生、対人援助職であるということを甘く考えていた学生は、大学教員が単位を落とさなくても、自ら教職課程を履修しないという選択をする場合が多い。
 なお、授業の中で、力のある学生が自信をなくしたり教職に希望を失ったりしないように、これらの思考や省察を促すと同時にしていたことは、
「魅力的かつモデルとなるような先生や学校教育モデルを紹介するとともに、大変とわかっていてもなお教職課程を履修して、楽しく生きがいを持って取り組んでいる先輩たちとの出会いの機会を多く作ること」であった。

 さて、ここで一部を紹介した「教職入門」の授業は、一時間目に組まれており、出席を取らない授業であったにもかかわらず、欠席・遅刻率が非常に低く、大学で学生評価によるベストティーチャー賞の制度ができて以来、常にベストティーチャー賞を得ていた授業である。

 日本の場合、開放制教員養成を取っている以上、最初期の授業には様々な動機付けの学生が入ってくる。その場合、上記のような授業方法では、明らかな問題を有する学生のみならず、教員になる資質は十分にあるが、動機づけの低い学生や他にやりたいことのある学生なども履修しないということが起きうる。しかし彼らは、単位は必要ないと言いながら最後まで授業を受けていた。将来、学校教員の心強い支持者になると考えられる。実際のところ、教職課程を途中で辞めても、卒業後も連絡を取り合っている学生は少なくない。出来るできない、落とす落とさない、いい悪いではなく、あくまでも適性や人生選択によるものだから。
 

 次に、海外や他分野の対人援助職の事例を含む、ゲートキーピングの工夫を紹介する。
1.教職課程履修の早い段階で、子どもや親へのインタビューの課題を出し、子どもや親の気持ちをレポートさせる。その際に、自分目線でレポートを書いてきた学生に対して、その視点の問題を指摘し、考えさせる。

2.最初は生徒と一対一の付き合いをさせ、徐々に生徒の人数を増やしていき、自分の対人コミュニケーションと教え方に焦点をあてるレポートを書かせ、自分の対人援助職への適性を考えさせる。

3.一人の児童・生徒と2-3年に渡って家庭教師のようにつきあう機会を作り、そこでの対人関係の持ち方をスーパーヴィジョンする。

4.教員採用や大学入試において、子ども対象のボランティアなどの社会的経験を評価する。

5.早い時点で、教育実習や子ども対象のボランティア活動など、子どもと接する長期の体験の機会を作り(短期であると何とか乗り越えてしまう場合がある)、そこで教師が自分の思い描いていた仕事と重なるかどうかを確認させる。これは、イニシャルショックを防ぐためにも有効である。

6.教育実習のときの児童生徒とのかかわりを、実習校の指導教員や管理職が評価し、その結果を教員養成機関に報告する。報告を受けて養成機関は、免許状取得可能かどうかを判断する。

7.養成機関の教員側の要因として、学生によく思われたいという気持ちで悪い成績評価をつけられないという傾向があるため、その傾向があるということをまず教員が認識し、公正な判断ができるように、同僚との関係性の中で注意しあうようにする。

8.そのために、成績評価を個人だけでなく、最終的に会議で決めて、責任を皆で共有するようにする。ある授業で問題行動を見せている学生が他の授業では輝いていることがある。そのような場合は、教員と学生との関係性やその他の何らかの要因が関係している場合があるため、会議において学生に関する情報交換を行うことで、公正な視点を得ることができるだろう。

 何よりも、問題を有する学生が単位を取らないことが、その学生が教員になったときに、困ったことになる子どもたちのためになり、学生自身の将来設計のためにも、自分に合わない職業に就かずに済むという結果になると、養成機関の教員がどれくらい、本気で思えるか、ということが大切である。
 ここでいう「問題を有する学生」とは、そこそこ普通に学べば修正が可能な学生のことではない。弱者の立場に立つ子どもたち、児童・生徒に対して、非教育的な言動を行い続ける可能性があり、取り返しのつかないダメージを与えかねない学生のことである。その中には、たとえば、ネオナチ、幼児性愛者、対人コミュニケーションが困難な学生、子どもは抑えつけて言うことを聞かせるべきであると信じている学生、体罰肯定者、差別主義者、教育に関心のない学生、学ぶことが好きでない学生などが含まれる。
 もちろん、学生を不合格にするためには、養成機関の教員が充分なフォローのあるしっかりとした内容の授業をしていることが前提になるため、なかなかそれは難しい。 
 むしろ、望むらくは、問題を有する学生自らが履修を取りやめるという形に無事収まるということであり、それは、上記の様々な工夫をすると、かなり高い率で実現するということを体験してきた。
 
 以上、いかがでしたでしょうか。少しでも関係諸氏の参考になればと願っています。

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