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誰が道を開けるか。

知人から聞いた話。

かつて、「伊藤家の食卓」というテレビ番組の中で、前を見てまっすぐ歩くと人が避(よ)けるのでまっすぐ歩ける、とやっていたそうです。普通、人は周りに注意して歩くので、まっすぐに向かって来る人を見ると自分から避ける、というのです。

それで小柄な女性である知人は、それをやってみたんだそうです。

そうしたら、みんなが避けていく。ところが。

地位のありそうなビジネスマンは避けない。のだそうです。
いつも回りが気を配って避けてくれるのでしょう。
そのまま歩くとぶつかる(笑)。
そういう生活をしていると、自分から周囲に配慮しなくなる、ということでしょうか。

(高齢の方が、周囲に配慮できなくなって、あるいは動きが鈍くなって道を開けない、ということはしばしばありますが💦)

また、知人の香港出身の友人は、ボーイッシュな女性なのですが、
彼女は別のことに気が付きました。

彼女が細身の体のラインが出るような服を着ているときには、
人が避けない。
男性っぽいがっちりとした服を着ていると、
人が避ける。

日々の生活の中で、その人の性別や地位やそれを支える文化が、
行動を規定している一例です。


同じように、会話の中で、人と話が被ることを誰が避けるか。

私はオンラインでも、人と話が被ってもどんどん喋ればいいと思っています。かぶったね、なあに?と言えばいいかなと。
でも、発言をうながしても話さない人が多いですね。

日本人は、特に中でも女性は、人と話が被ることを「いけない」と思いやすいようです。だから、どんどん喋る人はしゃべるし、黙っている人はずっと黙っていることになります。

実は私自身も、しゃべってしまって後から自責の念に駆られることがしばしばあります。どんどん言いたいことは言えばいい、言わなければと思う自分と、自分ごときが言ってはいけない、しゃべりすぎという自分がせめぎ合うのです。これは小中高校生時代に様々な場面で何回も「女のくせに」と言われ続けたことが影響していると思っています。もうこの歳ですから、気にせずに話してしまおうと思うことにしていますが、感情は残ります。

トロントにいたとき、先生がしゃべっていても気にせずに意見や質問を出してしゃべり続ける学生がたくさんいて、それがあたり前の授業で、圧倒されるという体験をしました。
私の当時7歳と3歳の子どもも、ろくに話せない英語で、あっという間に、手を挙げては臆せず発言するようになって、環境の違いで自分の子どもでさえもこうも行動が変わるのかと驚いたものです。

国や地域によって、話が被るのは別に悪いことではないようです。
自分の意見を言えることは大切にされます。

オランダでは、自分の意見を支離滅裂でも進んで言う人たちに出会いました。スペイン、中でもマドリッドの女性は、「しゃべり過ぎで前歯が出ている」というジョークがあるほどしゃべるようです(笑)。大阪のおばちゃんはどうかな?

日本人は海外の会議で発言できないと言われます。
英語に自信がないからかと思っていたら、それだけではないようです。
話をかぶせない、特に、自分の立ち位置が低いと思っている人が、恥ずかしがること、遠慮することが求められる文化。と、いうことは必然的にその文化の中で、低い位置にいる(と思いこんでいる、思わされている)人ほど、話をかぶさないということなのではないかと思います。

北米のソーシャルワーカー養成では、カウンセリングの際には、クライエントの文化に配慮して、特にアジア系アフリカ系の女性が自分の意見を男性に言わない傾向に気をつけること、と学びます。日本はそこに入るのです。

日本人でも忖度の文化の影響を受けない人たち(アスペルガー症候群の人たちが、「空気が読めない」と言われるわけですが)、自分の意見を子どものころから安全な空気の中で認められてきた幸せな人たち、意図的にトレーニングしてきた人たち、負けてはならないと学んできた人たちは、立ち位置に関わらす言いたいときに言いたいことが言えるようです。
あとは、酒席なら、言える、という人もいますね。


文化は、大切にしなければならないと思います。
でも、それは、社会的弱者を虐げない限りにおいて、という前提の上でなりたつことでしょう。

対話ができない文化が出来上がった社会の中で、
特に子どものころから聞かれる権利を知らないままに育つ人たちは、
自分から道を避けてしまうのです。
そしてむしろ、強くまっすぐ歩く人たちに自分を同化して憧れてしまいます。これは危険です。
地位が高い人、我を張る人たちが発言しやすい社会を
作り続け、子どもたちに見せ続けてはいけないと思います。

追記です。オードリー・タン氏、さすがです。

記事より引用)

古川:その制度だと、儒教思想により若い世代が、上の世代に対して意見を言うことを遠慮してしまうこともあると思います。それは、どのように解決しているのでしょうか?

オードリー:制度を明確に「書き出す」ことが、成功するうえでとても重要です。例えば、青少年諮問委員会によって「リバースメンターシップ制度は儒教思想よりも尊重されます」と明確に示されていれば、やりやすくなると思います。

つまり、このような宣言をベースとして、制度が本質的にどういうものなのかを誰にでも理解できる仕組みを作ってしまえばいいのです。そうすれば、たとえ年長者であっても、平等な立場で若者やリバースメンターに対して必要なリソースやサポートを提供するでしょう。


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