教育虐待と中学受験
【子どもの24時間、今昔】
人間の脳は24時間働いています。
かつては、24時間のうち、学校はほぼ8時間。睡眠が8時間で残りの8時間が家庭や地域で過ごす時間でした。
それが今は勉強(教わること習いごとや塾や学童含む)に関連する行動をしている時間数が増えて、家庭や地域で過ごす時間が大きく減少しているのです。しかもその少ない時間の中で、ネットと過ごす時間が3-4時間。
実は、学校の中で学んでいることは人生の学びのごく一部分です。
それなのに、もし、学校の学びを放課後や土日に持ち込んだら、
その分、生活の中で他のことを学ぶ時間を減らさざるを得ないのです。
家族との団欒、家事、友だちとの遊び、自然を感じたり、自分で何かをやってみたり、学校帰りに地域の人に出会ったり、脳を休ませたりする時間がなくなってしまうのです。今は、学校の送り迎えまで車で親と一緒という時代。かつて、探究は遊びの中でできたのに。。。
【脳や心の発達について】
今の50代60代以上の大人たちが子どもの頃にあたり前に享受してきた生活からの学びの機会が失われています。
それを奪うことによる子どもたちの発達上の損失に気づいているでしょうか。
大人たちは学校外の時間を豊かにすることの大切さを考慮しているでしょうか。喧嘩して仲直りをして人との距離感を学んだり、家族のきずなを学んだり、嫌いな人との付き合い方や失敗のリカバリーの仕方、効率的な整理整頓の仕方や季節感、五感、家事の仕方、一日の家事を回すプログラミング、
近隣の人とのお付き合いの人間関係。
いわゆる非認知能力、社会情動的力と言われる脳幹や大脳辺縁系の発達は、幼少期に育つと言われていますが、勉学させることを低年齢化するということは、そういう脳の基本的な発達をおろそかにしてしまうということです。
【身体の発達】
また、机にずっと座っている、ネットに向かっているということは、それだけ身体を動かさないということになりますから、身体発達にも影響が及びます。万歩計をつけなくてはならないのは、今や高齢者だけではなく小学生もなのです。小学生はもっといろいろな動き方をしてほしいですけれど。
生活のすべてを捨てて受験に向かうということが、
どれだけ子どもたちの体と脳と心の発達を阻害するかについて、
日本人は気がついていないように思います。
【子どもたちも洗脳される】
一方、小学生が得られる情報は、家族や学校、学童や塾や習い事などの大人からの情報に限定されます。自分を庇護してくれる親や教師などの大人の言うことは絶対です。勉強しなければならない。いい学校に行くことが将来いい人生を歩むためには必須であるというような情報しか入ってこない中では、抵抗できません。
自分の成長発達の方向性に反するのですから、感覚的にそれを拒否したくなるのは当然だと思いますが、嫌ということはできても、ではどうしたらいいかというような議論になればよくわからず、大人に負けてしまいます。
あきらめて言うことを聞いた方が、波風が立たず、罰も受けずに済み、むしろ褒められるという生活の中で、子どもは飼いならされて行きます。大人の価値観が内在化していくわけです。
低年齢であればあるほど、大人は子どもをコントロールしやすいため、受験に集中させるためには低年齢からスタートさせるのがよいと受験産業はアドバイスします。受験産業の目的は、受験に成功させる率を高めること、効率的に子どもたちを勉強に向かわせて、成果をあげることですから。
しかし、大人にコントロールされる子どもは、好奇心を抑えられ、主体性を奪われ、自分の意見を言うことをあきらめた子どもです。
やる気満々、自ら勉強したいという子どもたちもいますが、それは、質のいい学びである場合は好ましいことですが、多くは学びの好奇心によるよりも、ゲームとして得点を挙げることに対する喜び、他者に対する優越感に起因するものでしょう。
何かを学ぶことによる悦びが得られるような塾や宿題もあり得ますが、それらも、子どもの頃は、むしろ外遊びのなどで得られるほうが幅が広いのではないかと思います。
【中学受験】
でも、今、親の社会的経済的地位が子どもの学力に比例するという教育社会学の研究や、経済の視点で教育を捉え、より効率的に学ばせる必要性をうたう教育経済学の研究が発表されて、親たちは、自分たちの責任で子どもの学力が低くなったらどうしようと心配です。
受験しないと、地元の「受験できない子たちが集まる公立中学」に行かなくてはならなくなるから、うちも受験させなきゃ、になります。
少しでもいい学校に入れてあげたい、それは親の役目だ、と世間が言います。せめて周囲に恥ずかしくない学校に入ってほしいと親は願います。
そのためには少しでも早くから準備をしなければならないと、親は煽られます。受験勉強はどんどん低年齢化していくのです。
1月から2月にかけて、学校はお休みの子どもだらけ。授業にならないということも。受験は、何よりも優先されなければならないことになっています。
さて、思い出してください。最初に書いたことを。
大人たちがみな良かれと思ってやっていることは、子どもたちの発達にとってどうなのでしょうか?
人としての学びが、薄い教科書やタブレットの中に入っていると勘違いしているのではないでしょうか。
今年も、夏休みが始まりました。
※ 写真は『ヨシタケシンスケ展かもしれない』横浜そごう美術館にて
7月23日から
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