【Want は見失われる】
あるモヤモヤした状況について、リフレクションしたいと思ったとき、
コルトハーヘンのリフレクションの方法(ALACTモデルの8つの窓:下記参照)を使う場合、
Want(左側の上から3番目) のところには
「この仕事を終わらせたい」とか
「この子にいい点を取らせたい」とか
書かれるのだけれど、
それは本当にそうか?と一度は確認してみるといい。
「今日は久しぶりにカラッと晴れたから、洗濯物を干したい」は
干すのが大好き、なのではなくて、
もしかしたら、
干さないと大量の溜まった洗濯物であとが大変なことになるから、それを避けたい。
主夫として一人前に見られたい。
妻に叱られたくない。
の方が強い動機づけだったりもする。
確かに洗濯物を干したいのだから、
それでいいのだけれど。
それで、あらためて教室で、
生徒を変えたい、動かしたいという時はどうだろう?と考えてみると、
実は、
担任として恥ずかしい、とか
できる教師に見られたい、とか
そちらが主であって
生徒のことを考えていない場合も無きにしも非ず。
生徒を叱ったのは、
点数をあげて自分の無能を隠したい なのか、
この子の将来を少しでも明るい方向にしたい なのか
早く学校から帰りたい なのか
後でこの生徒が槍玉に挙げられないようにと願う配慮から なのか。
リフレクションというのは正解があるわけではなく、
必ずしもいつも深く掘り下げる必要があるわけでもないのだけれど、
あ、そっちのwant をすっかりうっかり忘れていた‼︎見失っていた‼︎
ということがしばしばあって、
それに気づくとスッキリして別の解決策が見つかることが少なくない。
特に真面目な人ほど、自分のwant を置き去りにして、
「これをすべき」と思っていることをwant だと信じ込んでいたりする。
それがいいとか悪いとか評価しても仕方なくて、
その時そう思った事実に基づいて考えた方が、行動は変化しやすい。
大事な自分に気がつけるとスッキリするかもしれない。
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