見出し画像

人の育ちは面倒を見る人の数でも変わる?!

ワンオペの大変さ、が言われているけれど、
赤ちゃんを育てるときに、面倒を見る人の数で、赤ちゃんの育ち、
つまり人の根っこの育ちが変わってしまうかもしれないということは
どの位、認識されているだろうか。

ワンオペが大変だというとき、育てている親が大変だということは言われるけれど、育てられている赤ちゃんが大変だということは強調されない。

大変な思いをしている親に育てられる子どもは、大変なのである。
でも赤ちゃんはそれを言語化できないし、
言葉のない時期のからだに刻まれた記憶は、語られることはない。
(それは、その人の情動、性格、思考となって表れる、と精神分析では考えられるが、本人に同定できることではない)

実は、赤ちゃんは大変なとき、その脳や心の発達に大きな影響を受けている。それはその人の人生の基盤部分であるがゆえに、生涯、残るかもしれない。

これは一家族の問題で済まされることではなく、
ある国に生まれた赤ちゃんたちが、
すくすくとゆったり笑いながら育つか、毎日泣きながら育つかで、
その国の国民の精神や脳の発達が変わってしまうかもしれないということなのだ。

画像3

戦時中に生まれた子どもたちは、そのトラウマを背負って生きていく。
子育ての大変な国に生まれた子どもたちには、言語化されない感覚が残る。

そのことに日本人は気がついているだろうか。
今の日本の苦しい乳幼児の子育てが続くことはやがて国難となる
いや、子育て支援が必要になって30年。もうすでになっている。

つまり、
生きていることに基本的に幸せを感じられるか、
すぐに落ち込んだり、イラついたり、切れかかったりしやすいか、
といった、感情の根っこの部分を、どんなふうに持った国民が育つか
ということなのである。

周囲のさまざまな人の生き様や、自然環境などの刺激をどのように受けながら育つかということは、その子どもの脳の発達に影響を及ぼすだろう。
どんな感情を示している人たちに囲まれ、どんなものを見聞きして育つかが、その人の心の基盤となる(いがみ合っている大人だらけの家庭で暮らせば、それは問題になるのだけれど、その周辺に複数の子どもたちや複数の隣近所の人たちがいることによって、その軋轢は薄まって、あるいは修正されて体験される)

とりわけ0歳から1歳にかけて、人の情感が身体感覚と結びついていく頃、
ワンオペの親子、核家族の親子、コロナ禍で隔離された親子の生活では、
赤ちゃんの接する刺激の量と質に課題が生じやすい。

その親子を、子育て支援の名の下に昼間2-3時間見るだけでは限界がある。
子育て相談と言って、週に一回相談に乗るだけでは、赤ちゃんが直接得られる支援が少なすぎる
赤ちゃんだけ取り出して保育園に預けるという状況では、
 赤ちゃんは地域社会から隔絶した生活を送ることになる
 働く大人たちも高齢者たちも子どもたちも、赤ちゃんに接する機会がなくなる
 親も接する時間が短くなって、養育能力を身につけることが難しくなる

付記)赤ちゃんだけを取り出していない保育園もあります。むしろ親子や地域のコミュニティの核になっているような保育園です。そういう保育の形が一般的になるといいのですが。

もし、子育ての支援を本当にしたいと思うなら、
親子を取り巻く温かい地域のコミュニティをどう作るか考えなければならない。そのことをかつて20年も前に『社会で子どもを育てる』(平凡社新書)に書いた。

そうでなければ、
 子どもがうまく育てられないとうめく大人がたくさんになって、
 子どもを産まない・産めないという現象が起きて、
 少ない子どもを必死で育てて、
 それなのに、「やりすぎ」と言われる状況が生じてしまう

   ←←今の日本はココ

画像6

責任感なく、手の空いているときにちょっと見るような大人や
何くれとなくかまう年長の子どもたちや、
モデルとなるちょっと大きな子がたくさんいる環境を、
 シェアハウスで作ろうとしている人たちがいる。
  楽しそうな写真がうらやましい。ある程度の規模がないと、少数の人間
  関係が崩れると難しくなりそうだけれど、持続可能性を高めるにはどう
  したらいいのだろうか。
 地域の居場所づくりで実現できないかな。
  小規模でいいから幼児も高齢者も歩いていける距離に何か所かほしい。
  小学校みたいに年齢別にケアの対象を分ける必要はあるのかなあ。
 行政の施策で実現できないかな。
  子育てしやすい自治体の話が聞こえてくる。できるっていうこと?!
 子育て支援のひろばはどうだろう。
  ←かつてこの方向性を探っていたのだけれど、今の日本の子育て支援の
  ひろばの多くは、単なるおもちゃが置いてある、その場限りの遊び場が   多いというのが実感。振り返りが必要な時期に来ているようだ。

また、保育園に預けるということは、親は確かに楽になるし、子どもの社会性や虐待予防にもつながるけれど、さっき書いたデメリットもあるから、
  もっと親子が近い場で、育てながら働く。
  もっと短時間、預けつつ、短時間働く。
  多くの大人が、リモートワークも取り入れながら、みんなで育てる。
という道を探りたい。そうしている人たちは、いる。

また、育休を取っても、
取った者がワンオペで苦しかったら、その子どもはやっぱり苦しい。
実際のところ、子育ては2人でも難しくて、面倒が見られる位の年上の子どもでもいいから、3人以上は必要である。
それも、3対1ではなくて、子どもの数も必要だから、複数対複数。
向こう三軒両隣が必要、いえ、村中の人が必要。

別の視点になるのだけれど、
大人と子どもが一対一だと、子どもがどう感じるかというのは、こちらで実感して欲しい。二対一だと、さらに大変かもしれない。

**********
私はワンオペを経験している。
保育ママさんも保育園も学生ベビーシッターも利用した。
わざわざ転居して助け合いの子育てもした。
海外で保育ママさんと保育園と友人に支えてもらっての子育てもした。
帰国して、またワンオペに戻って子育てした。
実家での子育てもした。
 つまりいろいろとできることはみんなした。
 とにかく日本で子育ては大変だった。
 海外の若い知人たちは、日本で子育てはしないという。

今度は孫が生まれ、この一年、息子夫婦と3人で日本で育てた。
子育ての負担が全然違った!
それでも大変な時は大変。
外に連れ出して、赤ちゃん親子がいるところに行くとちょっとほっとした。
でも、継続的な関係になるのは難しかった(私が珍しく「おばあさん」という立場だったこともあると思う)
子育て支援のひろばを利用したけれど、あくまでも一時しのぎの場だった。
そこにコミュニティはなくて、自分でコミュニティを作るのは難しかった。

画像5

今回、9日間シンガポールに滞在した。
大人7人が、それぞれリモートワークや仕事や家事をやりながら生活している中で、1歳になった赤ちゃんは、
 適当に買い物に連れていかれ、適当に遊ばれ、適当にご飯をもらい、
 適当に息抜きで遊びにつれていかれ、適当に抱っこされて眠り、
土日はみんな一緒に出かけ、楽しく過ごした。
みんなずっと笑っていた。
赤ちゃんが、たま~に泣くと、みんながわらわら寄ってきて、騒いだ(笑)

両親は昼間はリモートワークで、ときどき授乳したリ、ご飯を食べたり、遊んだりして、子どもを寝かしつけた後には、スパイダーマンを見ていた。ダンスにも出かけた。土日はみんなでサイクリングした。

画像5


子どもを育てるのに苦労などないと、かつて中米のお母さんに言われた。
子どもは多ければ多いほど幸せとフィリピンの人は言う。フィジーの人も言う。シンガポールはというと、中国系の家族は大家族を維持していて、祖父母が家庭で乳幼児を育てることは珍しくなく、それがかえって6ポケットの問題を生むのだろうけれど、子育ては保育園任せではない文化があるようだ。(これらはそれぞれの国が、理想的な子育てをしていると言いたいわけではないということをお断りしておく。それぞれの国にそれぞれの問題はある。子だくさんの発展途上国の子どもたちが、ある意味で幸せであってもある意味では幸せではない、ということはままあることで、では、日本では現在の状況からこれからどのように工夫していくか、ということが問題なのである。そのために、比較対象を挙げながら考えるということをしている)

じゃあ、なぜ日本では子どもを産むのを止めようと思うほどに、子育てが大変なのか。自分の子ども、が必要で、他のうちの子どもにはちょっと声がかけづらい社会で、泣きながら不妊治療をして、育ててみてまたその大変さに泣いて。

そもそも根本的に暮らし方を変えなければ、
親子の受難は続くのではないか。国難は続くのではないか。
赤ちゃんが目の前から見えなくなればいい、というものではない。
何か間違えていないか。

      子どもは、多対多で、地域で、育てたい



追記1)追立浩貴さんが、FBでこんなコメントを下さいました。

個人的には働きたくないので育休や退職はいいなぁと思っていたのだけれど、ワンオペまで行かなくても孤立感を感じることはあった。あと、何かよくわからないけど、行き詰まり感もあったなぁ。

そんな養育者の気分は、子どものこころにどの程度影響があるのだろう。
早くから(0歳児とかも)保育園に子どもを預けるのは、さまざまな事情がある。収入などやむにやまれぬ事情があることも多い。一方で、働きに出たいという人も少なくない。そこには孤立感や行き詰まりがあるのだと思う。

実際わたしも、完全に子どもだけと過ごす期間は決して長くなかった(一時保育を利用して、自分の時間をとったり、パートで働いたり)。

結局、仕事をしているほうが人と繋がりやすい。子育てより、自分の行動をコントロールでき、その分余裕ができるのかもしれない。何より、大人と話す時間が必然的に生じる。何か手仕事しながら、おしゃべりして子育てできるような、そんな場所があるといいなという雑感。

ところで、保育士はどんなモチベーションで保育しているのかなぁというのはとても気になる。みんなで子育てしてる感覚を味わいやすいのだろうか。それでも、一人で結構たくさんの子を見るのは大変そうで、ワンオペまで行かなくても、子供も大変そうだなぁという気もする。園や教室も決して広いわけじゃないし。

・・・ありがとうございました。とても実感がこもっていて、わかりやすいコメントでうれしく思いました。

追記2)邦永陽子さんがこんなすてきなコメントをくださいました。

負の連鎖は私が子どもの頃からもう始まっていたなあと思う、それでも、近所に預けられたり、道で遊べたり、周りが子沢山だったり、今よりずっと子どもだった私は人の中で育った。私の子育ては、プレーパークという場所を作って地縁を作ることで随分楽になった。それでも自分の中の人に迷惑をかけてはいけないという思考回路は解けない。子育ての始まる前に、子どもを親だけで育てるのは子どもにとっても良くない、親は子どもを介して人と繋がる役目がありますくらい言ってくれたら、やりすぎの私は頑張ったのだろうか。
今まさに、小さな認可外保育施設でこんな場所を作りたいと奮闘してるけれどなかなか理想には遠い。
でも夏休みスタッフの子どもも参加したり、法人の理事が朝ボランティアに来てくれたり、なんかいいぞと思っている。

追記3)山崎梨沙さんのコメントも紹介させていただきます。

すごく面白い記事だった。

ウチの近所は散歩してるおじさんおばさんも多いし、ウチも隙あれば近所を散歩しまくって挨拶しているので会えば気軽に話せる近所のおじさんおばさんがいっぱいいます。
そして、ウズたんの成長を一緒に楽しみに見てくれるのが嬉しいし、私も話ができると少し息抜きになってとてと助かっております。
そして、ウズたんと同世代のお友だちもいるし、ココは良い環境だなといつも感じています。

私が逢う人に極力意識してるのは、迷惑かもしれないけど抱っこしてもらう事。
「可愛いねー!」って言ってくれたら、少しでも良いからウズたんを抱っこしてもらっています。
色んな人の感触や温もりを身体で感じて、色んな人があなたを可愛いと抱きしめてくれるんだよ。って伝わって欲しいなと思っています。

小さい時から色んな人に出逢って抱っこしてもらってる事もあってか、ここまで人見知りもせず、最近では自分から愛嬌を振りまいて反応を見て楽しんでおります。

もちろん性格もあるのでしょうが、色んな人に出会い触れ合うって事がどれだけ大事なのか、この子を見ていると感じさせられます。

でも、たまには家に2人っきりでいる時にフと孤立感を感じる事もあります。
これが毎日続いてるお母さんもいるんだろうな…と考えるだけで胸が締め付けられる思いになります。
公園に出掛けて人がいても挨拶すら交わせず、近くに頼れるじぃじばぁばもおらず、子育て支援に行きたくても一人で大変で行けず…なんてお母さんは少なくない気がします。

もっと地域で子どもを育てる古き良き日本!みたいな時代が戻って来るといいなと願います。



#子育て支援 #赤ちゃん #社会的マルトリートメント #発達
#子ども家庭庁 #やりすぎ教育 #社会で子どもを育てる





いいなと思ったら応援しよう!