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筍にょきにょき「学校」にょきにょき

新しい「学校」が雨後の筍のように、にょきにょき増えてきている。
(ここ数年で、新しい「保育園」がたくさんできたように)

「学校」ってそんなに簡単に作れるんだ?!
そんなにいい先生を集めることって可能なんだっけ?
と思うけれど、みんな「自分ならできる」「教えたい」
と思うみたいで、たくさんできてきている。

 子を育てるってそんなに簡単だっけ?と自信のない親の私は思うけれど、     
 教員志望学生の中には、??あなたが??と思う学生もいて、
 それと同じだなあ、と思う。
 教員免許のない人が教師になる時代が来ていて話題になっているけれど、
 同様に、教育学など全く知らない人でも「学校」を作ることはできて、
 それは話題にはならない。

そうは言っても、私は、
いろいろな理念を持った「学校」がにょきにょきできるのは、
まずはいいことだと思っている。
(それが、自分の足で行ける範囲の「地域」にあれば最高)
いままで、学校教育ってこういうものだって
ガチガチに思いこんでいたところに、
もっと自分たちでできる、っていう動きが出てきたことが、
これからの可能性を作っていくと思うから。

それに、まだまだ全然足りない。
地方には選択肢がほとんどないし、
不登校で、元の学校に戻らなければと思っている親子と
戻さなければと思っている先生の数を思えば、
全然広報も足りていない。

手作りのギリギリで困った人たちが集まって作る「学校」もあれば、
企業やお金のある人がボーンと立てる「学校」もあって、
どちらにせよ、ほとんど公立でないから、お金がかかって、
お金のある程度ある家庭の子どもしか行けないのが、問題。

(以前、滞在していたオランダでは、
 公立も私立もかかるお金はほとんど一緒で(というか、かからなくて)、
 インターナショナルスクールやある種の学校でない限り、
 誰でも行きたい学校に行けるようになっていた。
 日本もそうなっているといいのにね。
 誰でも行けるようにしたら、公立か私立かは大きな問題でなくなる)

さて、従来の学校が合わないとき、
日中、ホームスクーリングができる家ばかりではないし、
どこかに入れたい。
これまでうまくいかなかったから、
今度はできれば、少しでもいい所に入れたい、
そう思うのが親心なわけで。

藁にもすがる思いで、
オルタナティブな選択肢をネットで探して、
ここはきっといい、と思う「学校」に期待をかけて、
通い始めるわけなんだけれど、

「学校」や居場所、というところで、
その時点でのその子を丸のまま受け止めてくれて、
安全感の中で、
動き出すエネルギーが少しずつ溜まるまで待ってくれるような
そんな場所ならいいのだけれど、

学習支援とか、主体性とか、自主性とか言って、
進学とか就職とか成績上昇とか成果とかがちらちら眼に入るところで、
また頑張らされて、元気なふりをしなければならない
ようなところもあって(それは善意なんだけれど)。

一方で、出来立てのほやほやの、すてきな宣伝文句はあるけれど、
まだ海のものとも山のものともつかない「学校」に、
結構な学費を払って、子どもを入れて、
期待外れだった、ということも起こっている。

その「学校」が、自分の子どもにとって「いい学校」である保証はなくて、
また、「学校」に行けなくなってしまったりもするわけ。
 そういう事例がどの位あるかは、たぶん、統計とかなくて
 実態がわかるのは、だいぶ後になるのではないのかな。
 そういうことが個人の、家庭の責任として任されているのは
 なんとも、子どもが社会の宝にされていない証拠だなぁと思う。

次の話は、ちょっと古い情報だから、
今、実際にどうなっているか確認できないので、
オランダ在住の三島菜央さんに確認した方がいいな~と思うけれど、

私が知っている2010年頃は、
オランダでは、新しい学校を簡単に作れる代わりに、
開校前と開校後も何年かに一回は、
インスペクション、つまり査察の制度があって、
学校としての国の基準を満たしていないと開校できなくて、
開校した後も、いくつかの検査項目でどの位の点をとれるか、
を学校のウェブサイトで公開しなければならなくなっていた。

とはいえ、それは一方的な査察ではなくて、
日本語の査察という言葉とは違って
一カ月くらいかけて、査察官(元学校の先生とか)が、
じっくりと学校を観察、調査して、学校のスタッフとも話し合って、
よりよい学校にするという目標を共有しながら、
合意できるところで点数をつけていく、ということになっていた。
学校は大変と言いつつも、自分たちの学校をリフレクションするいい機会と捉えていた。

今、日本は、
どんどん自由な「学校」を増やしていく時期だと思うから、
日本的な査察なんて入らない方がいいと思っているけれど、
でも、ん?と首をかしげたくなるような「学校」の話が聞こえてくると、
いつまでも野放しにしておくこともできないんだろうなあ、とも思う。
(適切な査察、つまり基準を満たしているかどうかだけではなくて、子どもの権利は守られているかとか、生徒たちが笑顔かとか、先生が過労状態でないかとか、が日本でできるかと言うと、やっぱりほぼ無理だから、
 総体的には、やらない方がいいのだろうなぁ)
(それに、現在の学校も、そういうチェック機能が働いていないから、こんなことになっているわけだから、結局は、やらないほうがまし、ということになるのか・・・)

それとも、自由競争のなかで、親子が選択して、自然淘汰されていくから、
大丈夫なのかな。

不登校の親の会の講演以降、
選択肢が全く見えていない親子や先生がたくさんいるという現実に、
もっと情報が伝わるように、と思っているのだけれど、
一方で、じゃあどこに行けばいいの?という問いにさっと応えられるだけのキャパは、まだオルタナティブスクールの世界にはないのも事実。

運のいい子、だけでなく、
どの子もみんな、いい子ども時代を過ごしてほしいなあ。
今日はそう思ったのでした。

#オルタナティブ・スクール #学校 #一般社団法人ジェイス
#不登校 #査察 #居場所




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