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遊ぶ と 学ぶ
遊び=学び と言われることが多くなっているように思う。
少なくとも、私の周りではそうだ。
私自身「遊ぶ・学ぶ・育つ」というFBのグループページを立ち上げ、数年管理していて、この3つの動詞の関係性を、特に学校教育に関わる先生方や子どもの親に気づいてもらいたいと思ってきた。理解は広がっていると思う。
そもそも保育や乳幼児教育、あるいは学童保育の世界では、
遊びを通して子どもを育てる、生活を通して人を育てる、ということは、
古くから言われているし、
Playful Learning(日本では、上田信行さん)ということばがあったり、
大人も遊ぶように生活することがいいことと企業が言いだしたりしている。
それらを歓迎しつつ、
遊びは学び、学びは遊び、と言ってしまうことには、
私には抵抗感があって、
もう少しきちんと言葉を整理したいなあと思うのだ。
遊んでいても学んでいないというときは多いし、
脳を使ってうんうんうなったり苦悩したりしてとても遊びとは言えないけれど、ものすごく学んでいるときもある。
子どもが何らかの刺激を受けて脳を動かして遊んでいるときには
(身体の動きが伴っているとより身につく)、
この世界のありようを学んでいるときであるということは間違いなく、
遊ぶ行為の中に学びは確実にある。
一方で、学びがワクワクするものであるとき、
そこで起きている感情は遊んでいるときの感情とほぼ等しい。
しかしながら、
世界のありようを新しく知るということなしに惰性で遊んでいるとき、
たとえば、ゲームで同じステージを繰り返しているときにはあまり学びが生じていないし(ゲームでも新しいステージに移るときや、人と一緒にやっているときには前頭葉は動いているらしい)、
遊んでいるときであればいつでも学びが生じるというものではなくて、
学びが成立するためには、教育心理学でいわれる「学習のレディネス」と呼ばれる学びの前提条件が整っていることが必要である。
ある新しいことを自分の中に取り入れる(学ぶ)ためには、
既に自分の知っていることと、新しいこととの間に、
適度なギャップ(ヴィゴツキーの発達の最近接領域)がなくてはならないのである。
だから、同じこと、同じ遊びをしても、ある子にとっては学びになることが、別の子にとっては学びにならない、ということがあり得る。
教師が子どもたちに学びを生じさせたいと思って、
「楽しいこと」を用意するのが危険なのは、
子どもによって「楽しいこと」は異なるし、
自分からとりに行く「楽しいこと」からは学びが生じるけれど、
与えられた「楽しいこと」には限界があるという点である。
少子化の中、
大人たちは、子どもたちに関わりたがるから、
どうしても「これをすればこの子たちにとってよい」「楽しいだろう」
⇒遊ばせよう、となりがちである。
いやいや、遊びというのは、大人が用意するものではなくて、
むしろ、大人の目をかいくぐってするときが一番楽しい。
自分で「みぃつけた」となるから遊びなのであって、
これをすると楽しい、というあらかじめわかっていることや、
プログラム化、スケジュール化された遊びを
大人が用意した中から、
あるいはルールが決まっているところで、
やっている限りにおいて、
子どもはいつまでたっても本当の意味で学ぶことの楽しさを知ることはできないように思う。
子どもというのは、
もっと自由でもっと勝手でもっと多くの大人にはわからない彼らの世界の中で、日々、自分たちの世界を発見しながら広げている。
それを大人が手伝っている限りにおいて、
コントローラーは大人が持っていることになり、
子どもの世界は限定されたままである。
子どもが自分で自分を取り巻く世界を探求できるように、
生活環境に、空間や時間の「遊び」を用意すること。
そこにキューとなる様々な仕掛けをいくつも用意しておくこと、
安全に熱中して遊べる(学べる)ように、ハザードを取り除くこと。
そんなことがせいぜい大人ができることで、
子どもが学ぶためには遊びが大切だから、とか、
遊びは学びだから遊ばせよう、と大人が言い始めたら、
そんな危険なことはないと、私は思っている。
だから、学びは遊びだ!とか
遊びは学びだ!とか、「教師」や「親」がわくわくして言うのを聞くと、
ちょっと私は、大丈夫か??と心配になってしまう。
遊びも学びもコントローラーは子どもに。
※ 遊び、と、遊ぶ、は違う。
学び、と、学ぶ、も違う。
これはどなたかが指摘していたことで、私もすでにどこかに書いた。
大学で「遊ぶを学ぶ、学ぶを遊ぶ」という授業を一年間やったことがあるくらい、話がやや複雑になるので、この文章においてはあいまいなまま書いている。
#遊ぶ・学ぶ・育つ #遊び #学び #教育 #学校