Facebookで100以上シェアされた投稿<タンポポを摘む子を叱る保育士さん>のこと
私はフェイスブックでいろいろな投稿をしています。
最近は、長めの投稿は、note に掲載してからFBにシェアするようにしていますが、思いついてさっと投稿してしまうときは、FBだけで終わらせてしまいます。
(だから、もしFBのアカウントを持っておられるなら、公開投稿をフォローして欲しいです)
そんな投稿のなかで、下記の投稿には思いのほか、たくさんのシェアがなされました。内容はクリックすれば読んでいただくことができます。2日で450近くのいいねがついています。
それに対してコメントが多数ついているのですが、その中にこんな長いコメントがありましたので、ありがたく、ご紹介させていただくとともに、私から返信することで、私の投稿の意図を説明したいと思います。少々長くなりますが、お付き合いください。
******Asana Arakawa さんからのコメント********
一保育士として、お言葉を真摯に受けとめ、こどもたちと日々向き合っていきたいと考えております。
日本の保育士の先生方のことを思いますと大変胸が痛みますので、僭越ではありますが、申し上げます。
スウェーデンで保育士として勤務する中で、上記のような公園の状況は、自分が勤務するプリスクールでも見られます。教育者のひとり一人の質の向上のための教育研修が定期的にあり、「子どもの視点」が見えているかどうかを振り返り、同僚たちの年功序列や立場に関係なくフラットに意見交換ができるような環境であっても、このようなことは日々起こっています。スウェーデンのプリスクールは、日本より遥かに労働環境や研修制度など恵まれていますが、それでも多くの失敗や試行錯誤もし、自己嫌悪になりながら、教育者として成長できるよう切磋琢磨する日々だと思います。
子どもをとりまく環境の社会的背景が、スウェーデンと日本はあまりにも違います。幼児教育機関の人的配置基準、怪我や安全に対する国民の意識の違い、教育研修の少なさ、こどもの長時間預かり、保育士の低賃金や残業、それに見合わない仕事の量の多さ、社会的な立場の低さなどの背景を考えずにいられません。
日々過酷な環境の中で身をすり減らしながらも働かれている日本の保育士の先生方への尊敬の念もあり、こういった保育の質の問題が、日本のこどもをとりまく社会構造や課題の改善へと国民のみなさまの目が向きますようにと願ってやみません。
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このコメントに対する私のコメントは、以下の通りです。
コメントありがとうございました。今回の投稿への皆さんの関心の高さに少々驚いています。
タンポポというと、日本人はみな自分の記憶を刺激されるのでしょう。
また、保育に対する漠然とした不安を刺激したのかもしれません。
>日本の保育士の先生方のことを思いますと大変胸が痛みますので、
僭越ではありますが、申し上げます。
と書いておられるのは、きっと、私の投稿が保育士批判と受け止められたからではないかと思います。いいねの多さやコメントから、私の投稿の意図よりも、投稿によって起きてしまうかもしれない保育士批判という結果を危惧なさったのかもしれません。
でも、私は保育士さんたち全般を批判するつもりは毛頭ありません。
他の方へのコメントにも書きましたように、その場で、地域の大人、経験ある高齢者として、直接、保育士さんにお話しして理解していただくということがさっとできなかった(声をかけられなかったのは、実はいくつかの他の理由があったので、どちらにせよ出来なかったのですけれど)ことを振り返っています。だからこそ、心が残って投稿した次第です。
私もここ15年程、保育士研修をやってきた立場で、保育士向けの本も書いています。保育士関係者の知人は多くいます。私の知る皆さんは本当に努力して、保育を良くしようと努力を重ねておられます。
ただ、どれほどの工夫をしたとしても、このような状況は、どの国でも、特に新しい保育士さんたちには起きがちなことだと思います。スウェーデンだからとか、日本だから、ということはないと思います。私も世界各国の保育現場を見てきましたので、日本の保育の質が他国に比べて低い、というつもりは毛頭ありません。本当に素晴らしい保育をしている園があること、劣悪な環境の中で頑張っている保育士さんたちがいることをよく知っています。
保育の質の問題の発生は、保育教育や保育政策の問題(これは…かなり大きい)もあると思いますし、保育士さんたち自身の自由な遊びなどの経験の少なさ、制限を受けて育った経験も大きく影響しているでしょう。
それがベテランの保育士さんと共に保育経験を積むにつれて、徐々に改善されていくのが良い社会なのだと思います。
ただし、特に今回についていえば、実は、この話は、保育の質、とか、保育士さんの資質というレベルの話ではなく、
1.子どもが花さえ摘めない社会と環境
2.雑草と花壇の花の区別がつかない大人たち
3.外遊びに道路を通っていかなければならないような住宅事情
4.保育を監視、管理に追いやる社会の厳しい目
の問題と思うのです。保育の質の議論はもう少し違うところにあっていいはずです。
そういったどこの国でも起き得る一般的状況の問題の改善は常に意識していかなければならないことですが、今回、せっかくコメントをいただきましたので、私が問題にしたいのは、Arakawaさんのおっしゃるように、
今の日本では保育の質の保証が、保育園の増加に追いつきそうにないこと
です。
ここのところの日本の保育園の急増は、預けなければ働いていけない親たちや、自分で子育てすることに限界を感じている親たちの増加を反映しています。
補助金が出るから儲かると、どんどん保育園を増やしている企業や法人・団体もあり
(一年間に分園を次々と増やすほど、保育が簡単で儲かるものだとしたら、それは私は「何か」がおかしいのではないか、と思いますが、どうでしょうか。いい保育をしている園ってそんなに簡単に広がっていますか?それらの園の保育士さんの待遇は、そして保育の質は、子どもたちの発達は、大丈夫でしょうか)、
それを認可している国や自治体があり、
さらには、質の担保が保障されるよりも前に、保育園義務化の話が出てきています(義務化の課題については、このnote でかつて何回か書きました)。
すでに、近年の研修の不十分さ、保育の質の低下を憂慮する保育現場から、研修サイドからの声を多く聞いています。
ところが、人間の根っこを作る仕事は、社会にとって最も大切で困難な仕事です。日本において、母親や保育士たちが担ってきた役割は、ビジネスマンたちが儲けるお金に比べることのできないほどの価値を持っています。
私は大学教員の給料よりも保育士の給料を高くした方が社会の安定のためにはいいのではないかと言うことがあります。大学の学費を貯めるくらいなら、保育園に先行投資した方がいい(教育的な保育園に入れる、という意味ではありません。自由な生活を保障できるような保育園に入れる、ということです)でしょう。それほど大事なことだと思っています。
でも、それを極論だと思う人の方が圧倒的に多いでしょう。金銭を生み出すもの、より大きく目立って物事が動くことに価値を置くからです。まさか保育がそこまで大事なことなのか?と疑われるのでしょう。乳幼児の発達がのちのちの大人を作る、その大人が社会を作る、ということを知らないのかもしれません。
そのような中で、私たちは、
現在、園に通っている子どもたちのために、まず
現状把握をすること、
現場で実際にどのような保育が行われているかを確認すること、
それがどの位の割合で行われているのか、
そこで子どもたちがどう育っているのかを知ること、
が必要でしょう。
そのための「眼」を持たなければなりません。
漠然と見ていても、そこで起きていることは見えないからです。
多くの保育士さんは、いい保育士であろうとしています。
でも、必ずしもいい保育ができてはいません。
気が付かないからです。知らないからです。
振り返ろうにも、保育の子どもの発達への影響を知らなければ、振り返りもできないのです。
そういう状況に対して、まずは、そこで保育されている子どもたちを社会的マルトリートメントから救うことが必要ではないかという問いかけをすることが、私のこの投稿の意図でした。より多くの方たちに、起きていることに気づく眼を持ってもらいたかったのです。
それに対して、保育士がどうとか、保育がどうとか、政治がどうとか、いろいろな意見が出され、何かをしなければならないと皆が気付き、それぞれの持ち場でできることを考え、子どもたちのためにアクションを起こすこと、が最も大切であると思います。
ある分野の担当の誰かの責任を問うことや、守ることがゴールではなく、
子どもたちの育ちを保障することがゴールになるような思考を日本人が持つようになること、
そうなるといいと思います。
そして、北欧の国々が、日本よりもそういう市民を育てようとしていることに対して敬意を持っている私は、コメントを下さった Arakawa さんから、さらに学びたいと思います。
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