兎波を走る
野田秀樹の舞台は、比喩と言葉遊びと、そして風刺に満ちている。
いくつかの聞いたことがあるような物語も出てくる。
今回は「アリス」「ピーターパン」「桜の園」
言葉遊びもアナグラムも面白い
アリスもピーターパンもある種、親から逃げ出したと言えなくもない。
ネバーランドの子供たちも。
彼らが「親なんているものか」と叫ぶとき
私たちは「毒親」とか「宗教二世」という言葉を否応なく思い出さされる。
反対に「子供なんているものか」という叫びには
現代の少子化の現状を思い出す。「いらないだろうな」と思ったりする。
親と子のどこまでも続くすれ違い。
けれど、アリスが帰りたいと言い始めた時に待っているのは
「再教育」だった。
「遊びの園」が競売にかけられるという話もあり
それは「桜の園」に似ているようだ。
「遊びの園」は「賭博場」になる。
関東にも関西にもある話。
アリスが多部未華子でアリスの母が松たか子
兎が、高橋一生である。
だんだん、戦争的にきな臭い話が混じってくる。
以前の公演では、
香月泰男のこんな感じの絵に見えるような一瞬が作られていたっけ。
今回は軍人の行進に、
幼稚園の椅子のようなものを、音をそろえる小道具のように使っていたが
子どもも巻き込まれるのだぞ という暗喩も込められていたかも。
忘れさせられていく我々だけれど
忘れてはいけないこともあることを
風刺を超えた悲しみとして今回は与えられたかもしれない。
公演が終わってホテルに帰り着いたら
「原爆」のことが戦後六年も
まともに報じられていなかった話をやっていた。
手記も、検閲されていた。
GHQが去っても、レッドパージもあり
戦前からの流れもあり
検閲に慣れ過ぎた報道になってしまっているという話もあった。
そういうとこだぞ、という風に
私の中ではつながっていくのであった。
どの新聞社も、二度と戦争には加担しないと思ったのではなかったか。
USAGI を USA・GI とか言われると
日本は米国の不沈空母だとか言った人を思い出す。
乗組員はみんなUSA・GI
AIに書かされるみたいな話もあったのだけれども。
難しい社会になっていくなぁと思う。
結末を決められてしまうようになったらおしまいだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?