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現代詩手帳 七月号
特集が「夏の詩」だったので戦争の詩も多く掲載されていた。
例によって独断で気になった詩を一つ。
「沈黙の家族」という金井雄二さんの作品。
ページをあけたら「六十歳をすぎて」という言葉が飛び込んできて
母親が脳内出血で倒れたという話だった。
表現とかことば選びの妙だとか、そんなものはすっ飛んでしまって
作者の母の物語に感情移入してしまった。
ことばが出なくなった母親。
麻痺が残った母親。リハビリをさほど頑張らなかった母親。
認知症状が出始めたように反応が鈍くなった母親。
この作品の母親の事ではないが
認知症かと思ったら、老人性のうつだったという話はよくあるそうだ。
「この先、何か良いことがあると思えない」と思ったら、
ひどく落ち込むわけだし、そのまま浮上しないで「うつ」になってしまう。
食欲もなく、言葉を発しない。
当然、リハビリは頑張れない。認知症だと思われてしまう。
年代的に、自分がそうなったら という考えにとらわれしまったのだった。
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冷静な読みとは言いづらい
詩の鑑賞どころか感想ですらないかもしれない。
真面目に付け加えるならば
この「六十歳を過ぎて」は二連目で
一連芽は「たとえば声」父の話
三連目は「嘘をつこうと」本人の事か
四連目は「もうすぐだよ」妹
五連目は「泉のほとりに」
泉のほとりに家族として住むには覚悟がいる。
未完の言葉でつながろうと努力しながら住む家族。
愛だな と思ってしまった。
愛があるかどうかにこだわるのは
私自身の中に愛があるのかどうかに
あまり確信が持てないせいかなぁ、と思うのである。
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