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来し方行く末   詩と 詩人 時々俳句

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詩を書く という自覚ってどんなものなんだろう と時々思います。 何を書いても「詩の形式」で書いてしまいますが、自分なりの「詩」とは分けています。
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記事一覧

谷川俊太郎さん

訃報を知ったのは午後だった。 大好きな詩人だったので、ショックだった。 存在していてくれるだけで良い という人もいるのだった。 先に亡くなった方たちとゆっくり語らう姿も想像できるけれど ひとりでどこかに座ってきれいな景色を眺め 時おり下界を眺めたりするという姿も想像できる。 安らかに。

ナントのゾウ (詩)

    霜降から冬至のこの部屋での日差しは初めて体験する 部屋の中が日時計 時間も季節も告げてはいる 日照 日射 南中高度   そんな言葉をつぶやきながら半日過ごす 時間も日差しもすり抜けてゆく 手元が暗くなるのが早すぎる キーボードは白い方が良かったのかと今更悩む 夜中に見るロワール川の夜明けは 私に時を告げるものではない 川下の町ナントにずっと住むゾウの映像はどの季節のものなのだろうか ゾウは声を挙げながら水を撒く ゆっくりと 憎しみと慈しみ どちらを強くからくりの瞳

彼岸花

お姫様ごっこをよくしていたと思い出す 記憶の中では一人で遊ぶことも多かった お姫様になりたかったのだろうか なりきっていたのだろうか わからない ウェディングドレスは白いリコリスのようだった 夢がかなったと思ったのかどうか ドレスを着たいだけだっただけだ たぶん その先に透けて見えるほころびは見なかったふりをした 私はいまどこにいるのだろう 自分の城とは何だったろう 真実の愛なんてどこにもない お姫様ごっこの女の子は遠い時空のかなただ わたしは 何になりたいのかなりきっ

杖  

                    すごく好きなのだと思っていた 純粋に「愛」で求めているのだと思っていた そうではなかった 未熟すぎる精神を自立させたかった 彼を杖にしようとしていた 何度も何度も思った 自分自身がこんなに大嫌いな自分を愛して欲しいと言えるのか と だから言えなかった 彼を杖にして私は立ち上がれたのかどうか 立って歩きはじめることができたのかどうか そこから何歩先まで行けたのか 立ち止まっていた自分がいて 歩き始めた影のような何人もの自分がいて

悼む詩 谷川俊太郎

石垣りんさんや、茨木のり子さん、川崎洋さん、草野心平さん ・・・ そうそうたる方々への「悼む詩」である。 その中に 編者の正津さんが載せたかったという詩が混じっていた。 この詩は、東北の震災の後に新聞に毎月載せていた詩を中心にまとめた 「こころ」という詩集の最後に載っていた。 「悼む詩」は2014年出版。 その時谷川さんは84歳である。 年を取れば取るほど、 自分は「そのあと」を生きているんだなぁ と思う。

食パン

14000歩歩いた今日 いつもと違うスーパーに寄って いつもと違う食パンを買った 塊の1.5斤 少し厚めに切って零れるほどチーズを載せて焼いてみようか それともグラタンにしてみようかと思う楽しみ 溢れていたチーズに感動したのは学生時代 そんなトーストの出始めだったのかどうか 各駅停車は必ず急行を待って発車する くすくす笑いの女子高生は電車を降りたが急行にも乗らなかった 電車は乗ったら降りなくてはならない プラットホームで話し込みたい年ごろか 風が吹いている 夕方 その程度

バウムクーヘン

ひらがなの詩である。 「まいにち」という詩の 二連目がすばらしかった。 もうひとつ、「たりないじかん」 2018年の出版である。 谷川さんはたくさん出版しているので追いつけない。 「たりないじかん」は少し年をとるとみんな感じるのではないだろうか。 時間の使い方の中に「空費」という項目がありそうな私は 追い越されるままである。 追い越す この前駅まで歩いている時に 若い女性に追い越された 全然急いでいる風な歩き方に見えなかったので あとについていこうと思ったら かなり

入道雲

入道雲を最近見ない という人がいて そうだったっけ と考え込んでしまう程度には気にしていなかった。 今日の雲だってそれっぽい という人もいて、なるほどと思う そんな話を思い出して ゴミを集積所に持っていきながら空を見る 曖昧さのない 秋の空の色である 東側に入道雲らしい形が見えている 見えているが、建物に隠れている 我が町には地平線がない 高い低い住宅と電線に囲まれて  でこぼこだし奥行きがない 夕陽を見ることがない 夕焼けも端っこしか見えない 夕日が沈むあたりにも建物が

駅前の十字路

振り返ったら 渡ってきた道の信号がまだ青だった 渡ったらすぐ左の道路を渡るはずだった十字路 信号の代わるのを待っていたはずだった すぐに渡れるのに気づかなかった 一分か二分か三分か 私の意識はどこをさまよっていたのだろうか 空には三日月 夕焼けの名残 涼しくない風 (秋らしい風はどこまで来たのか) 商店の前の睡蓮の葉はとっくに枯れていた 家までの足取りは重くはない 今日一日は楽しかったような気もする

地震

深夜 ガタンと音がして 揺れた それから三分して 二時五分ころ地震がありました とオーロラの写った画面に白い字が流れた この地震による津波の心配はありません それから震度3の地名が流れ報告は終わった。 白いオーロラはピンクや緑を交えながら 裸木の上でも踊っているが 私はまだ 少しドキドキしたままだ

   そしてあなたは去って行き 私は気持ちを押し込めた 大事にしまって しまった場所は忘れて時は流れ 他のものを探している時に不意に目の前にあらわれるのだ 呼んでもいないし呼ばれてもいないはずなのに 不意に声は聞こえ 光る雲が現れる 太陽はその後ろにいる 私は眺めていて 見つめていて それだけだった  

電車の座席

長男が一歳にならない頃だった。 席で抱いて座っていた 30分程度の距離だったけれど 飽きてぐずり出した そばにいた母娘が 暑いのかなぁ 飽きちゃったかなぁ 赤ちゃんだからねぇ と なんということなく、でもそばの人に聞こえるような声で 話してくれた それだけで車内の空気の角が取れる 泣かれそうで不安な気持ちがほぐれる 目礼して電車を降りる 🚇🚇 電車はたくさん乗ってきたし    誰かと乗ることも沢山あったけれど    それを「題材にする」ということを考えたことはなかった。

試す

土曜日に詩人の話を聞きに行った ノートを広げ 「詩」という字を書こうとすると ことごとく「試」と書きそうになるのだった ここしばらく「試」という字を書く機会なんかなかったのに 何に試されようとしていたのか 何を試したかったのか 誰に 誰が 「今日 良い詩が書けたからって  明日も良い詩が書けるとは限らない  それが詩です」 こんな言葉が心に残った カメラのメモリーを忘れた日の事である。

山手 鷺山 竹之丸 (詩)

1 馬頭観音 四人の幼稚園児がしゃがんで手を合わせている お墓のように見えるけれど あれは馬頭観音だ うちに来るときは ちゃんと祈らないと罰が当たるんだよ だなんて いいかげんに言ったのに 祈りという言葉を聞いて思い出すのは その四人の後ろ姿だ 大切に祀っていた人もいた馬頭観音に 私はちゃんと祈ったことがなかったような気がする 2 トンネル 通学路近くの葛の向こうに線路が走りトンネルができていた 葛のつるを越えて線路に入った 砂利の敷かれた線路を歩き トンネルをひと