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映画・ドラマ・ステージ

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映画やドラマについて書いたものをまとめてみました。 年に数回レベルのコンサートや芝居も。
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記事一覧

八犬伝

昔 人形劇の「八犬伝」を見ていたので 「玉梓が怨霊」 とか「悪女舟虫」とかは耳に残っていたのだった。 八犬士の名前の一部と、仁義礼智忠信考悌 の文字も。 (ラストまで見ていたかはわからず、記憶にない) なるほどこんな話だったなぁと思ったりそうただったのかと思ったり。 馬琴が勧善懲悪にこだわりたいのに 善から悪も生まれる と言われて考え込んだり 勧善懲悪も極めて欲しいみたいなことを言われて励まされたり 息子の死に慟哭したり。 因果は廻る糸車 まわる世間は風車 現実世界の

ミッチェル家とマシンの反乱

マザーコンピュータというには少々しょぼいが 人類のほとんどを捕獲できたのだから大したものだったのだろうか。 機種変更に伴って捨てられるとわかったスマホのAIが 開発者のところで反乱を起こすのである。 蜂の巣のようなブースに一人ずつ人間を閉じ込めていくロボットは 旧型で、ファミリーの犬が「犬かブタか」を判断できずにショートする。 こまかなところが面白い。 対する四人と一匹の家族は、変人一家と呼ばれている。 映画を作りたい長女と恐竜オタクの弟と 工具のドライバーを手放さない父

ユー・ガット・メール

1998年の映画だそうだ。 いわゆる「98」が出て、一般人がパソコンを持ち始める時代である。 私も初めて買ったのは「98」だった。映画の後だったけれど。 単純な私は映画を見て、AOLでメールを使うようになってしまったのだった。 メグライアンもトムハンクスもいわゆる「絶世の」とつくような 美男美女ではないのだけれどチャーミングでちょっと知性的で。 ニューヨークって感じよねと思ったことを覚えている。 つぶれていくしかない街角の本屋さん。 20年以上経った今は、大きな書店でも、

歩いても歩いても

良いタイトルだと思った。 墓参りのシーンなどよく歩くのではあるけれど。 歩いても歩いても小舟のように私は揺れて(ブルーライトヨコハマ) 樹木希林さんの正気と狂気の狭間にいるような絶妙な意地悪さ。 長男を失った無念を、長男が身を挺して助けた若者に来年の命日にも来いといい、子連れの女と結婚した次男夫婦への対応では、自分たちの子どもはどうするのだ とそれぞれに迫る。 15年前の映画だそうで、私は見ていなかった。 原田芳雄が出てきたとき、宮崎駿に似ていると思ってしまった。 原田

時の面影

第二次大戦前夜 自宅の土地にある墳丘墓を発掘してもらおうと考える プリティ夫人は、軍人の夫を亡くしている。 息子はまだ10歳かそこらで宇宙大好き。 彼女が発掘を頼んだのはアマチュア天文学者のバジル。 学歴が無いこともあり、良いようにこき使われていた人。 夫人も大学に受かったのに女だからと行かせてもらえなかった過去がある。 静かに進む話。 舟で埋葬されていたとか、金の埋葬品など、 重要な発見があった後、大英博物館からきた偉そうな人に 発見物を奪われそうになるが、夫人が持ち去

ラ・パルマ

年始に不謹慎にも見てしまった。 火山活動の影響で地すべりが起きるかもしれない兆候を 研究観測所が見つけてしまった。 地すべりが起きたら大津波になる。 だが以前似たようなことがあり その時は警告を出したが 津波には至らず 各方面から苦情が来たみたいな経験から 政治の上層部は相手にしようとしない。 という部分と、ある家族が避難できるかどうか ということが ふたつの柱のように描かれる。 その家族の母親の兄が本国の外務省で、避難勧告をしない要人に囲まれているが、パルマ島にいる自

天狗の台所

お兄ちゃんに天狗の羽が生えてしまったところ以外は そんなに変わったところはないのだけれど 天狗の里の代表みたいに山奥でお兄ちゃんは暮らすのである。 ただ、犬は喋る。犬の声は天狗族でも15歳になったら理解できなくなる。 ていねいに真っ当に生きている。 過疎化高齢化が進んでいるその地で、住民への手助けを惜しまない。 こういう暮らしは誰でもできるものではない 善良の見本である。まだ彼自身の苦しみが浮き彫りに放ってこないが。 そんな村の中で、弟のオンの成長を見守る話。 実は「あ

ミセスハリス パリへ行く

遅ればせながら「ミセスハリス」を見た。 本物の善良ってすごい。 下働きの目線しかないが、実は世の中は下働きの人の方が多いというのが 実際のところ。 夫は戦死。 家政婦として働くが、雇い主は自分は贅沢をするのに 給料は払い渋る。 パリに来て、貴族の男性にアプローチされてシンデレラ的な展開があるのかと一瞬思わせるが、そこにも見えてしまった微妙な傲慢さ。 結局、一番最初に望んだドレスで、一番最初に踊ろうと言った人と踊る。 絵本では、パリ以外でも、モスクワだのニューヨークだの

天保12年のシェイクスピア

ミュージカルのように、全員で「シェイクスピアがいなかったら」 という歌から始まる。 シェイクスピアの各作品からセリフや設定や登場人物を少しずつ借りながら物語を作っていく。 シェイクスピア作品はそこそこ見ているのだけれど、全部ではないし。 リア王にハムレットにオセロにロミジュリに とそんなに思い出せるものでもない。 悪意に操られながら、まぁよく人が死んだのだった。 あまりにも簡単に死んでいく状況が、現代なのかと思ったりした。 前回の公演はコロナに引っかかって千秋楽直前で中止

団地の二人 その他

実は最終回を見逃していたので、再放送は嬉しかった。 何も変わらずホンワカ ということこそ今の時代にはファンタジーな気がする。 建て直しはなかったし、息子の所に行った「おばちゃん」は帰ってきたし 外国で結婚か と思った「福田さん」は戻ってきてしまった。 いろいろ「まじか」であった。 正直に言うと、出かけるのでバタバタしていて立て直しが何故なくなったのかについて聞いていなかったかもしれない。それにしても。 しかも最後はテレビが壊れたので 二人で「紅白」ですと。歌って終わり。

後三時間で新年と言われても。という気分。 なんとなく紅白をつけているが時々マリオや黒柳徹子を見た。 今年は裏番組もかなり本気な感じがする。いつも本気だったのかもしれないが。 今年反省すべき点が無いとは言えないが来る年に何を期待するかということも思いつかない。ただ漂うみたいな。

原作を壊さず、史実をゆがめず、でもファンタジックに仕上がっている。 昭和18年から20年の終戦までが、子どもたちには地獄だっただろう。 歌まで怒られて泣く姿は本当にかわいそうだった。 徹子さんのお父さんは、戦地から生きて戻れたのは幸いだったと思う。

線は僕を描く

水墨画の大御所がこの彼を見つけたのは、椿の絵を前に涙を流していたからだという事が後からわかる。 本人には告げないけれど。 心の中に大きなものを抱えている人が 抑制してコントロールして、一本の線を描いていく とは ラノベによくある魔力コントロールみたいである と思ってしまうあたり 自分の読書が偏っているということである。 横浜流星はあまりにも顔が整っているので という思い込みがあって 彼の作品はあまり見なかったのだけれど イケメン臭さはなくてただの、心に傷を持つ青年だった。

奇跡のシンフォニー

たまたま見てしまった。 映画館では見なかったが、DVDでは見た。 確かに奇跡の物語ではある。 広いアメリカのニューヨークのセントラルパークで 生き別れの親子が出会うなんて。 原題の「オーガスト・ラッシュ」の方が良かった。 少年の仮名であり、意味は八月の衝撃。 奇跡を起こさせるのは少年の音楽の天才的才能。 みんなで幸せになれると良い。 うらぶれてハーモニカ吹いてたロビンウィリアムスが気の毒だけど。