見出し画像

英語ができなかった帰国子女~親や周りの協力がなかった私の場合 追記

中1で父の仕事の都合で海外に行き、インターしか学校の選択肢がなくてインターに入るも、学校で私だけがまったく英語ができなかったので親が学校に呼び出され、苦情を言われた。
帰って来た親に「このままじゃあんたは学校を追い出されるよ!そうしたら他にここから通える中学がないから、あんたは小卒になるよ」と言われた。
小卒になるのを回避するため、睡眠時間を削って辞書で必死に英単語の意味を覚えた。
…という話を、以前書きました。

この時は書くのがためらわれたので書かなかったのですが、この時期に過労で朝起きられず、親に暴力を振るわれて無理やり学校に行かされたことがあります。

日本にいた時から薬害とストレスで体が弱っていた私は、この時期に海外で更なるストレスにさらされたのと寝不足になったのとで、すっかり体が参ってしまいました。

この後私は重度の睡眠障害で夜一睡もできなくなったのですが、この必死に英単語を覚えていた時期はまだ本格的な睡眠障害に移行していなくて、夜に多少は寝られていました。

それでも、ブラック企業の社員みたいな生活で疲れが溜まりに溜まっていた私は、ある朝、学校に行くのに起きなければいけない時間(と言っても朝の5時…)になっても、どうしても起きられませんでした。

5時になったのに起きてこない私を、親が起こしに来ました。でも私はどうしても目が開けられず、「起きられない」と、目をつぶって横になったまま言いました。

すると親は、私を2発蹴りました。私は痛みで目が覚めましたが、今度は体が痛くて起きるのが辛くなってしまいました。

それでも親は私を無理やり起こし、いつも通り学校に行かせました。

私は、過労で体が限界だわ、蹴られて痛いわの散々な状態で、学校でいつもの通り英語ができなくてみんなに白い目で見られながら、悲鳴をあげたいぐらい辛い体で授業を受けました。

既に私は過労で廃人になりかけていたのに、暴力を振るわれて無理やり学校に行かされ。

その後も、どんなに体が辛くても動けなくても学校を休ませてもらえず、家でもリラックスする時間も娯楽も一切与えられず、週末は日本の数学の勉強をやらされたので週末も休めず…。

私は帰国後ずっと闘病生活で、帰国後の人生の半分以上を寝たきりの廃人として過ごすことになったのですが、そりゃ成長期にこんな過酷な生活させられたらそうなりますって。

限界を超えて苦労をさせられて廃人になりかけていた私を(もう廃人だったのかも知れませんが、当時は若さで何とか倒れずにいられたのでしょう)、インターの人たちは、とんでもない怠け者として冷たい目で見てきました。中学生から英語を始めた子の苦労がわかる人なんか、いませんでしたからね。

なんでこんなに苦労ばっかりさせられて、その後の人生まで壊されなきゃいけなかったんだろう…と思います。

いいなと思ったら応援しよう!