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やりたくても出来ないことの話をされると嬉しいもの?(ピアノの話が辛い私の視点から)
私は薬害で手の指が10本とも不自由です。本当はピアノがやりたいのですが、鍵盤を押さえるのが不可能に近いので弾けません。昔、手が小康状態だった時期が数年間あり、その頃はいわゆる難曲も弾いたりしていたのですが、現在はねこふんじゃったすら弾けない(最初の1~2小節しか手が持たない)状態です。
私の詳しいピアノ歴については下記のマガジンで書きました。
私がこれまでに出会ったピアノ弾きさん達は、私が本当はピアノが弾きたいけど弾けないと知ると、ほぼ全員が目を輝かせて自分のピアノライフのことをあれこれ語ってきました。今あの曲をやってるよ、この間本番であれを弾いたよ、レッスンで先生にこんな事言われたよ…等。中には、ちょうど持っていたピアノの楽譜をわざわざ取り出して「休日はこんな曲を弾いて楽しんでます」と見せてくれたり、ピアノの演奏会に誘ってきたり、自分が参加しているピアノサークルに何度も誘ってきたりする人もいました。私の顔を見るたび毎回ピアノの話をしてくる人もいましたね。
たぶんあの人達は、同じ趣味の人がいた!と嬉しさで一杯なんだと思います。分かります。ピアノの話が出来る相手って少ないですもんね。音楽関係の学校を出ていたり音楽の仕事に就いていたりするのでない限り、周りの人のほとんどがピアノに興味がないのが普通ですよね。
でも私は、ピアノの話をされると辛いと思ってしまうんです。自分が弾きたくても弾けない状況でいつそこから抜け出せるかも分からない中、ピアノの話なんて聞きたくありません。興味のない話を延々聞かされる方がよっぽどいいです。
でも、よほど親しい相手でない限り「その話はやめてください」なんて言えません。だから、ピアノ弾きさんが目を輝かせて私に自らのピアノライフについて語っている間、私は内心の辛さに耐えながらうんうんと、または黙って聞いていました。
また、私は他人のピアノの演奏を聴くのも精神的に辛く感じることが多いです(現在は体調不良で音楽を聴くこと自体辛いことが多いのですが、ピアノの場合はそれに精神的苦痛も加わります)。二度目にピアノが弾けなくなったばかりの頃は(一度目は10代、二度目は20代)、ピアノに限らずクラシック全般を聴くのが辛かったです。
でも、ピアノ弾きではない何人かの友人知人(ピアノ以外の楽器をやっている人を含む)にその気持ちを話しても、笑い話としてしか受け取ってもらえなかったり、「神経質になってる」と呆れられて私の部屋でクラシックのCDを流されたり(買ったばかりのCDを早く聴きたかったらしいです)しました。
やりたくても出来ないことに対してこんな風に感じるのは、私だけなんでしょうか?
他の方々は、自分がやりたくても物理的に出来ないこと、そしていつ出来るようになるか分からないことの話を聞くのって、楽しいんでしょうか?いつかそれが出来るようになった時に備えて気が向いた時自主的に情報を集めるのではなく、現在進行形でそれが出来ている人からこちらの気持ちに構わずその話を延々とされて、純粋に楽しんで聞けるものなんでしょうか?
私には無理です。器が小さいと言われたらそれまでですが。はっきり言って、全然楽しくありません。しんどいです。
本音を言うと、私の方から話を振った時以外はピアノの話は避けてくれるか、私の症状を興味本位でなく思いやりの気持ちから分かろうとして、私の気持ちに寄り添うかしてほしかったです(同じような状況の人が皆同じに感じるかは分かりません)。でも上でも書いたように、よほど親しい相手でない限りこちらからはそんなこと言いづらいです…。
私の感じ方が少数派なのか、同じ経験をしていないとなかなかこの気持ちは分からないものなのか…。それは私には何とも言えません。