【徒然なるままに】聴く
自室を出ると廊下を挟んで向かいは台所。
この戸を開け放すと台所のもう一方の入り口の壁に取り付けている時計の秒針がスチャッ、スチャッ、スチャッ、……
自室の時計の秒を刻むザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッに半拍遅れて合いの手のように入ってくる。
戸を閉め、座椅子に座る。
部屋に入って左手は隣室との間を区切るスライドドア。
私の部屋にはエアコンがなく、夏の間はこの戸を20cm程開けて冷気のおこぼれを貰っているのだが、そこから聴こえる送風の音と、時折遠くに雨のアスファルトを走り去る車の音。
静寂ぷらすアルファ。
どの音を拾っても自分にとって好ましいものばかりで、贅沢だなぁ、幸せだなぁと感じるひとときだ。
もしも自分にとって嫌な音がひとつでも紛れ込んだら、この幸せ感はあっという間に吹っ飛んでしまうんだろうなと、以前辟易していた夕方の駅前での大音量の歌を思い出す。
公共の交通機関を使って職場に通っていた頃、仕事を終え、駅前に出るとたいてい野外ステージで誰かの歌。
そして、聴いていたいほどの歌声と出会うことはまれで、そういう人に限ってその場を通り過ぎると歌声は徐々にフェードアウトしてしまう。
駅前のどこに逃げても聴こえてくるような大音量に限って、聴き慣れた曲を歌って音外す、高音も低音も出てなくて、声汚い。
市にお金を払って利用しているのだろうから、我が市は彼、または彼女のお陰で数千円は潤うわけで、それなら市民としては文句も言えないわけなのだけれど、なんでアンプ使って大音量にする?せめてその一角にとどめておいてくれないかなぁ?と疑問とも愚痴ともつかぬモヤモヤ。
権利があるからと言って、アンプでその歌増幅するとか、人としてどうなの?
道路渡って逃れてもそばにいるじゃん、その声!
何?何かの呪いなの?
いや、本人に自覚求めるのは無理だろうけど、審査もなくお金さえ払えば誰でも大音量で歌わせるとか、そんな無謀な事を思いつく市にびっくりだよ。
そして、この酷い歌を強制的に聴かせられながらも、普通に歩いている人達。ウチの市民はすごく寛容なんだろうか、それともおとなしいんだろうか?
いや、市民ばかりとは限らないから、日本人?
外国人もいるから、地球人か!
それに引き換え、自分の心の狭さ、沸点の低さよ。
まぁ、ちょっと気持ちが荒れてる時なら、それも私に向かってくる礫の一つとして受け流すかもしれない。
どうせ色々痛いんだし!
でも、曇りひとつなく晴れ渡っている状態で、幸せをもっと噛み締めたくて深呼吸しようとしたその時に、下手っくそな大音量が耳に入ってきたら、小さな幸せのその亀裂にじわじわと悪意が滲んでいき……
数分前の自分などどこかに消し飛んでることだろう。
幸いなことに、今はその時間帯に駅前に出るような生活をしていないので、自分は解放されているわけだけれど、日暮れとはいえ名ばかりの太陽が照りつける白い道、一日の疲れを引き摺っての帰宅途中、アレに襲われて誰かがイラッとする事がありませんように。
地下に入ったら逃れられるのでどうか理性を保ってくれますように。
揉め事が起きないようにと願うばかりだ。