小さくたって 手を伸ばすほど届かない幸せ
この日は運動不足がたたってしまって、たかが1時間程度歩いただけでバテてしまったんです。前日が暑い日だったのに、今日は風が涼しくて、調子に乗りすぎてしまったみたいで。やっと辿り着いたコンビニで冷蔵庫を見ていた時の事。
カサカサとビニールを何度も擦る音に振り向くと、ピンと右手を真上に伸ばして何度も袋を掴もうとしている姿が見えたんです。窓に面した雑誌棚の延長にパンが陳列されていて、一番高い位置にクリームパンみたいな感じのが何種類も並んでいました。普段は来ないものだから何パンだったのかわからなかったのだけれども、その方は何度も何度もそれを取ろうと繰り返すものだから、きっと諦められないくらい美味しいのかなって思って…。
僕ならきっと、諦めて自分の身の丈にあった高さの、限られた棚の中から、それこそ消去法の様にして、少しでも欲しいと思えるものを選ぶだろうと思う。何度もカサカサと袋を触るのは恥ずかしく感じるし、腕は疲れるし。そこまで頑張ってまで食べたいと思えるパンも…たぶん無くて。
そう思いながら「取りましょうか」と当たり前の様に声をかけて一番上のパンを取り渡してあげたんです。その方は、少し驚いた様な表情で小さくお礼を伝えてくれて、大事そうに胸元にしっかりと安定させるように抱えてから、手元のレバーをゆっくり倒してレジへ向かっていきました。旋回するその車椅子はとてもスムーズで音も静かでした。
僕はと言うと、特にこだわりも無かったものだから、見慣れたスポーツドリンクを一番手前の取りやすい場所から取り出してレジへ向かう。その途中、「小さなパンにあんなに一生懸命に…それってどんなに美味しいパンなんだろう」と思いながら、「もしも、仮に、コンビニという今ではすっかり当たり前の日常の中で、あんなに熱心に手を伸ばし何度も何度も失敗を繰り返しながらも手に入れたくなる様な、そんな幸せが存在するとしたならば、それはそれできっと、豊かな人生と言える…んじゃないだろうか。。。」と。今の自分の人生が、なんだか味気ないものの様に感じられました。
今、目の前に有る小さいながらも大切な幸せ。たとえそれが妥協して選んだ納得しきれないものだとしても、それはそれで僕らの日常を豊かにしてくれる幸せに変わり無いはず。僕らは置かれた環境の中で、大人になりながら学んでいく、高望みをせず、一番にこだわらず、与えられた環境の中で自分らしく…。。。。そうして大人しくなるうちに、自分が本当に望む景色に手を伸ばすというチャレンジ精神を失っていってしまう、少しづつ、しかもそのチャレンジは実現可能だという事にも気付かぬままに。上手に大人になれたなら、上手に自分を表現できたのかもしれないけれども、みんながみんなそうじゃない。疲れ果てて忘れた頃に「これって本当の自分なのかな?」って寂しく感じながら思い出すのは、僕ばかりではないんじゃないかな。
その日の夜にこうして、noteを始めたわけなんです。いつもこんな感じで、小さな再出発を繰り返しているわけなんです、飽きもせずに。
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