世界史からの学び
『世界の歴史大図鑑』(河出書房新社)、この図鑑はお薦めです。重さ2キロ、4千円ちょっと。豚バラ肉程度のグラム単価で、これだけ充実した内容、と言ったら著者に叱られそうですが、パラパラと眺めているだけでも飽きません。
さて、古代史から中世・近現代史をページをめくりながら不思議に感じる点は、人々の残虐さが増していることです。
権力のやり取りを重ねつつ、政治体制は三つの形態を繰り返しています。独裁政治に嫌気をさして共和政(または貴族政)へ移行。共和政が成熟して民主政へ移行。しかし、衆愚政治へと陥り、独裁政へと先祖返りしてしまう繰り返し。
振り子のように独裁政と民主政を行きつ戻りつするものの、ほどほどのところに落ち着きません。歴史から学び、中庸の立憲君主制に留まることは稀です。
ここには古代から変わらない人間の傲慢さがあるように思います。この傲慢さを前近代の独裁者、例えばローマ帝国のカエサルは、法に縛られることなく露わにするこができました。素直に傲慢さを露見させることで、残虐さは先鋭化しません。
ところが、近現代になると権力者は、法に縛られます。しかし、内面の傲慢さは古代と変わりません。それだけに、何か理屈を絞り出しつつ、そして傲慢さに突き動かされて、残虐さを先鋭化させるのでしょう。
敵将ポンペイウスの死をなげくカエサルに比べると、ピューリタン革命を主導者クロムエルの死骸の首を晒す王政復古の残忍さやフランス革命における処刑の残忍さは対照的です。
「科学の進歩から学んだ考え方を政府や社会について考える方法に応用し、迷信、専制政治、不公平を、理性、寛容、法の平等におきかえようと努力した。」啓蒙思想に関する前述の図鑑の説明です。わかりやすく、丁寧な説明ですね。
啓蒙思想の流布にもかかわらず、先鋭化する残忍さは、常軌を逸した権力者によってなされた行為と片付けることもできますが、多くの場合、その権力者は民衆の熱狂によってその地位を盤石にしてきたことも見過ごしてはいけないと思います。
図や写真がふんだんな大図鑑を眺めていると、ヘーゲルの警句が実感できます。「歴史から学べるのは、人は決して歴史から学ばないということだ。」ヘーゲル