何しに来た?と言われても
竹取物語を読んだことはないのですが
かぐや姫というタイトルの童話は記憶にあります
おじいさんとおばあさんに大切に育てられたかぐや姫は
多くの男性から求婚されてもすべて断り続け
最後は月へ帰ってしまいうというお話でした
私は子供のころから性格がひねくれていたので
この人は何をしに来たのだ?と
どうにも腑に落ちないでいました
桃から生まれた桃太郎だって
村を助けるという使命を帯びて生まれてきました
確かにかぐや姫を引き取ってからというもの
おじいさんは黄金の入った竹を見つけることで
たいそうお金持ちになりました
これはいわば養育料を払っているにすぎません
かぐや姫はこの世界で何ら活躍していないはずです
もっともこれはおとぎ話のことですので
そこまで不思議に思うことはないのですが
現実世界で私たちはこの世に何をしに
生まれてきたのでしょうか
単に偶然生まれて数十年の人生を歩み
静かにこの世を去る
それだけのことなのでしょうか
幸せ追及という使命
思春期の14歳ハートはギザギザで
何でもかんでも手当たり次第に噛みついて
夜の教室窓ガラスを壊して回った
などという経験はありませんが
「何も生んでくれなんて頼んだ覚えはねぇよ」
この程度の悪態ならついたことはあります・・よね?
若いころはすべてが面白くなくて
なぜこんな世界に生まれてきたのか
思い悩む日々が続いていました
まさに青春いまならアオハル真っ盛り
あの頃はどうしてもわからなかったことが
今では多くの自己啓発本や精神世界の動画で
こと細かく説明してくれています
そもそも魂は修行のために
進んでこの世に降りてくるそうで
頼んで生んでもらったわけでないというのが
根本的に間違っているのですね
いったい何の修行かといえば
今世で幸せをつかむための修行と言われています
生まれる前の魂は
なるべくなら前世で経験できなかったことを
体験したいと望むそうです
前世がお金に恵まれた人生であったのなら
次はお金に不自由な暮らしの中で幸せを見つける
前世が男性で女性に対して暴力的であったのなら
次は侵される女性になってそれでも幸せを見つける
前世で人を傷つけることを平気で行っていたら
次は目の前で子供を失ってそれでも幸せを見つける
これを因果と呼び原因と結果を表す仏教用語です
私たちが幸せを追求するのは権利ではなく義務ですから
どんなにつまらない世の中であっても
そこから幸せを見つけなければなりません
もしも見つけられなかったら?
宇宙には罰という概念はないそうですから
見つからなくても神様から叱られることはなさそうです
できなければ何度でもチャレンジすればよいだけ
でも最後につまらない人生だったと思いながら
あちらの世界に帰っていくのは寂しいですよね?
宇宙意志の目的
幸せ追及は個々の魂がステージを上がるため
自らに課した使命ですが
私たちにはもう一つ
大きな使命が与えられているそうです
私のメンター「松田 豊さん」によると
私たちは精神を進化させるために
この世に人として生まれてきたのだそうです
そんなことを言われても私はただの凡人です
そう思う人もいるかもしれませんが
戦国時代には平気で人を殺していましたが
現代では命の大切さが叫ばれています
これだけでも人間の精神は進化しています
それでは何のために精神は進化しているのでしょうか
これ以上進化した先には何が待っているのでしょうか
メンターが言うには宇宙には大いなる意志があって
その意志にはある目的があり
その目的を達成する使命を帯びているのが人間で
だからこそ人間の精神が進化する必要があるのだそうです
果たしてその目的とはいったい何なのか
空間を瞬時に移動するワープに関するものなのか
時空を超越したタイムマシンに関するものなのか
メンターでもそこははっきりとしていないそうです
いずれにしても人間はあらゆることに興味を抱き
様々なことを研究し謎を明かしてきました
それは病気を治そうとか壊れない橋を作ろうとか
個々に目的はあるのですが
すべては宇宙意志の目的につながるよう
仕組まれたことなのかもしれません
宇宙意志の目的を果たすための精神の進化は
愛と調和につながるとメンターは言います
愛には途方もないエネルギーがあって
相対性理論で有名なアインシュタイン博士も
どんなに強力な兵器も
愛の力には及ばないと言っています
私たちがこの世に生まれ成長して次の命を育み
その命がまた次の命へとリレーする
この膨大なエネルギーを生み出すのは愛です
誰かを愛し愛されるというのは
宇宙の大いなる意志と
ひとつになることかもしれません
ちなみにかぐや姫にも因果は存在し
「竹取物語」の中には
地球に来た意味が書かれてあり
月の世界で犯した罪を償うために
地球に降ろされてきたというのです
物語では月の時間は地球よりも遅く流れるとされ
地球で過ごした20年は月の1年だそうです
時間といえば浦島太郎もタイムスリップのお話です
時は一定ではなく観測者によって異なる
アインシュタインは1905年にこれを発表しました
それよりもはるか昔の日本ではすでに
時の流れが一定ではないことを書き記していました
精神はこうした思考に追いつくために進化していて
思考を証明するために科学は発展してきた
秋の夜のきれいな月を眺めていると
いろいろな想像を掻き立ててくれます
ここまでお読みいただき
ありがとうございます
あなたのもとに 素晴らしいことが
たくさん たくさん
降り注ぎますように