34年前の自分を掘り起こした
ふと思い出して、クローゼットに「思い出」と書いたラベルを貼った段ボールを開けて、中学校の卒業記念文集を引っ張り出しました。特段きっかけがあるわけではないのだけれど、最近ときどき中3の頃の国語の先生から褒められた言葉を思い出すのです。そのお褒めの言葉は、確かこの文集に紐づいていたはずだなぁ…と思って。
引っ張り出した文集には、顔が赤くなるような文章が書いてあったんですけど、なかなか感慨深くもあったので、34年前の自分を掘り起こして深堀りしてみたくなりました。
「かたまってきた」と言った舌の根も乾かぬうちに「まったくかたまっていないのかもしれない」などと書いている自分に苦笑しましたけど、全体を読んだ後にこの冒頭の文章を読むと、「たしかに、かたまったけど、かたまってなかったかもね」と思わさりました。
では、その続きを…
中3だけど中二病全開の文章で、笑うしかない。
「安定した職業を求めることだけはしたくない」と書いていたけど、実際には職業が安定しなかった20代〜30代でした。
イタい。
自分の中の「あきること」は、立派に育ったよ、と中学生の自分に伝えてあげたい。
最後の「壊すことは大切です」の部分、国語の先生に褒められたのはこの部分だ。
そして、「あきること」「壊すこと」「変化に富んでいること」が自分の将来像として「かたまった」ので、かたまった瞬間から「かたまっていないかもしれない」と書くことになったわけです、きっと。
そういう意味では、冒頭で「かたまったのかかたまってないのか、どっちだ?」という混乱を発生させておいて、最後に回収しているあたり、意図したのかどうかは覚えていないけど、面白い文章だな、と思いました。
また、中二病丸出しで将来への意気込みの空転具合が失笑ものではあるものの、悔いなく生きてやるぞ、という欲求というか前のめりな意思の表明が、今読むと非常に寒いと感じつつも、大人になってから最も影響を受けている福岡伸一先生の「動的平衡」にもつながる「壊すことの大切さ」を中学生の自分が書いていたなんて、なんか感慨深いです。