腹が立ったとき、やるべき1つの決めごと
何度も約束を破る母に腹が立った。
言わなきゃバレないのに何故か話してしまう素直な一面に心を許してしまいそうになるものの、そんな気持ちは一瞬で消えさり、もういいから次にやるなら私に言わないでくれと言い放ち自分の部屋へ戻る。
部屋に戻った私はすぐさまプロジェクターの電源を入れ、部屋用のランニングシューズを履き走る準備をした。
わかっている。
母が約束を守れないことを。
気になると居ても立っても居られなくなる母の性格から、カーテンのフックが外れているのを椅子に登って直したくなる衝動を止めるのはできないと、私は知っている。
(こう言葉にするとほんとくだらないことで怒っている自分に辟易するが話しを先に進める。)
母ゆずりの性格の私も、気になったらすぐさまやらないと気が済まない。危ないから椅子の上には登らないと娘とした約束よりも、今目の前気になることへの衝動の方が勝ってしまう。
腹が立ったのは母の行動だけではない。
それを許せない自分の気持ちにも腹が立つ。椅子から落ちなくて良かったと、何故言えないのか。
走り始め、最初はそんなことを考えているものの、途中から走ることと、目の前の映像に気が移り、終わるとすっかり腹が立っていたことを忘れている。
何事もなかったように母の部屋に行き飲み物をもらいに行った。
腹が立つといつも思い出す言葉がある。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
村上春樹「走ることについて語るときに、僕の語ること」の一節だ。
著書には、腹が立ったら走ればいい、なんてことは書かれていない。
非難を受けたときや、受け入れてもらえなかったと感じたときに、いつもより長く走る。肉体を消耗させ、弱い人間だということを認識する。結果的に長く走った分だけ、自分の肉体を強化したことになると語っている。
「ストレス発散のための運動」ではなく、腹が立ったことを意識し、腹が立った自分自身にも腹を立て、疲れとともに意識は身体へ移り、身体への意識の集中が気持ちの沈静化と解決、自身の強化へ繋がると私は信じている。
走れないときは、少し遠くのコンビニまで歩いていく。背中を正し、お腹の下にやや力を入れて、右左右左と繰り出す脚を意識し、左右左右と振られる腕を感じる。
腹が立ったとき、やるべき1つの決めごと。
それは、身体を動かすこと。
意識を身体、内側に集中させることで、自ずと解決の方向へ進む。
ぜひ試してみてください。本もおススメです。付け加えると、普通に走ることも大好きです。