孤独ではない辛さ
辛さがやってくるとき、自分自身を攻めたり労ったり慰めたり様々な感情を一手に引き受け荒れ狂う感情に1人晒される状況は孤独そのもの。誰かにわかってもらいたいと思う気持ちと、誰にもわかるわけないという気持ちが交差し、口をつぐむ方を選ぶから、いくら待っても助けは来ない。
そんな日々をずっと続けてきたけれど、でも私が知らないだけで本当は私の辛さを享受し心を寄せてくれる人がいる。たまにそんな場面に出くわすと驚いてしまう。そっか、自分が思っているよりも他の人は私のこと考えたりしてくれているのか。
辛く思っているだろうと誰かが想像をしてくれていることを知ると、この辛さは孤独ではないかもしれないと思える。辛さが減るわけじゃないけれど、でも心が少しだけ軽くなる。辛いことが辛いのではなくて、辛さくる孤独感が辛かったのだと思う。
そんなことを考えていたら、宇多田ヒカルの「Deep River」という曲のミュージックビデオのある一節を思い出す。楽曲とは異なり、朗読からこのミュージックは始まる。
私は鏡だ。
光の届かない場所で動けずにいる者に
手を差し伸べるのではなく、できる限り近くに自分を置く。
そして同じ景色を観る。
痛みは、誰かと共感できたなら
気持ち良いものに変わるということを知ってる。
悲しみが減るのでも世界が変わるわけでもないが、
私の中で反転された世界は確かに新しい景色に見えた。
どうしようもない辛さで、1人うずくまっていたとしても、荒れ狂う感情が過ぎ去ったあとの景色にその人たちが見える。助言や励ましよりも力強い。
YoutubeにアップされているDeep Riverの動画に冒頭の朗読がないのが悔やまれる。
話は変わり、冒頭のワンちゃん、
しばらく見つめ合っていたら、
近寄ってきてめちゃかわいかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。