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菜の花忌特別企画・司馬遼太郎初期長編を読もう!④『戦雲の夢』
こんにちは、青星明良です。
この読書エッセイ『青星の読書放浪記』は、私が色んなジャンルの本を放浪し、推し作品をみなさんに紹介していくための連載です。
2月12日は、私が尊敬する司馬遼太郎先生の命日にあたる菜の花忌。
そこで、今週の2月10日(月)~2月14日(金)の5日間にわたって司馬先生の初期長編小説『梟の城』『花咲ける上方武士道』『風の武士』『戦雲の夢』『風神の門』を紹介していくことにしました。
4回目の今日は、悲運の武将の転落とリベンジをドラマチックに描いた名作『戦雲の夢』です。
作品紹介
司馬遼太郎『戦雲の夢』(講談社文庫)
土佐22万石の領主・長曾我部盛親は、関ケ原ののち、牢人の身に落ちた。再起を賭け大坂夏ノ陣に立ち上がったが。悲運の武将を描く。
というわけで、本作の主人公は、大坂ノ陣で獅子奮迅の活躍をした長曾我部盛親です。
彼は、四国に覇を唱えて「土佐の出来人」と称された長曾我部元親の息子で、元親の死後に土佐の国主の座につきます。
しかし、上記のあらすじにもあるように、思いがけない不幸がつづいて関ケ原の戦い後に領地没収。
一介の牢人となった彼は、鬱々たる隠棲生活(徳川幕府の監視つき)を京都で強いられます。
関ケ原当時に20代半ばだった盛親は、残酷なる時の流れのなかで年を重ねていき、気がついたら40代になっていました。人生五十年と呼ばれる時代なので、すでに彼の人生は夕暮れにさしかかっています。
武将として大きな才能を持ちながらも、それを活かせぬまま運命の悪戯で転落し、深い悔恨の念に苛まれる日々……。
そんなに時に勃発したのが、徳川と豊臣の全面戦争・大坂ノ陣です。
「今こそ、おのれの才能(うつわ)を天に向かって試すとき!」
盛親は旧臣たちとともに決起し、徳川軍との最終決戦に挑みます。
果たして盛親は戦国の最終決戦でリベンジを果たせるのでしょうか?
私は人生の敗者だ。自分の才能なんて世間の誰にも求められていない……と思いがちな人ほど読んでもらいたい、再挑戦の勇気が湧いてくる戦国小説です。
では、ここから先は、本作の読みどころをピックアップしていきましょう。
冒頭からまかれる悲劇の種
そもそも、盛親は父・元親の四男坊でした。
長男の信親は、非常に優秀な武将だったそうです。
なので、末っ子の盛親が家督を継ぐ可能性はほぼありませんでした。
ところが、その長男・信親が若くして戦死。長曾我部家に衝撃が走ります。新たな後継者を指名しなければいけません。
ここで元親は、意外な行動に出ます。次男と三男を無視して、可愛がっていた四男の盛親を新しい世子に指名したのです。
当然、家臣の中には、「長幼の序を乱すのはあかんやろ!!」と反対する者が。
しかし、元親は、
「なるほど。ならば粛清だ」
盛親の家督相続に反対した家臣を一族皆殺しにします。
度量が広いことで知られた元親がこんなことをするなんて、頼りにしていた長男の死がよほどショックだったのかも知れませんね。
血生臭い粛清劇のすえに世子となった盛親。当時、彼はほんの子供でした。なので、何の罪も犯してはいません。犯してはいないのですが、家臣団のあいだには(あのガキのせいでお家騒動が起きたんだ)という感情がとうぜん渦巻いていたわけで……。
本人が悪いわけではないのに、家臣たちとの間に精神的隔たりがあるという不運。しかも、不穏な火種が内輪でくすぶっている状況の中、父ちゃんの元親が関ケ原前夜に病没するというタイミングの超絶な悪さ。
盛親本人は、司馬作品の主人公らしい爽やかな青年なのですが、とにかく運が悪い。悲劇の種は物語冒頭から着実にまかれていき、「これはどう考えても悪い予感しかしないぜ……」という雰囲気のなかで関ケ原合戦へと突入していくのです。
怒涛の不運の連続で国主から牢人へ
関ケ原合戦前後の盛親の不運ときたら、目も当てられません。
家臣団が脳筋ばかりで参謀がいない‼️
東軍につきたかったのに西軍につかざるをえない‼️
わけわからん内に関ヶ原合戦が終了‼️
老臣がとんでもなくいらんことをしてゲームオーバ‼️
怒濤の不運の連続が盛親を襲います(>_<)
ちなみに、老臣が勝手にやらかしたいらんこととは、実兄(元親の三男・孫次郎親忠)の殺害です。この時期になっても家督相続をめぐるいがみあいが尾を引いていて、ついに血が流れることとなったのです。
盛親は、関ケ原敗戦後に家康に謝罪しようとしますが、この兄殺しの罪を責められて、とうとう改易されてしまいます。
そして、気がついたら、京都での隠棲生活がスタートしていました。
ただ、牢人になった当初の盛親は、不思議な解放感を抱いています。
組織に縛られる生き方――大名としての生き方――がよほど性に合わなかったのかも知れません。
時の流れの残酷
京都での隠棲生活を始め、寺子屋の師匠となった盛親。
当初は、土佐二十二万石の大名という責任と重圧から解放されたこともあって、肩の荷が下りたような気分でいました。
しかし、幼友達の桑名弥次兵衛をはじめとする長曾我部家の旧臣たちが次第に他の大名家に召し抱えられ、盛親との主従の縁が切れていくと、世の中に取り残されたような気分に襲われます。
(おれだけが、世捨てびとか)
覚悟していたことであったが、明るい世間に出てゆく家臣たちを、盛親はそねみたい気持をおさえることが出来なかった。
(おれはまだ、三十路にさえならない。このまま寺子屋の師匠として世に消えていってもよいのだろうか)
おれはまだ、三十路にさえならない。このまま世間から消えていってもいいのか――そう苦悩しはじめた盛親。
しかし、時の流れとは残酷なものです。20代半ばだった青年は、何をなすこともなくただ生きることを徳川幕府から強要され、あっという間に20代と30代を終えます。気がつけば40代になっていました。
このあたりの盛親の境遇が、私にとって身につまされるところなんですよね。
『梟の城』の紹介記事でも書きましたが、私は就職氷河期に成人し、就職難やブラック企業での過重労働とリストラを経験しました。現在の職場も環境が悪く、低収入がつづいています。そして、何者にもなれまいまま、苦しみもがいて生きている内にアラフォーになっていました。
そう、いまの私と大坂城に入城する直前の盛親はほぼ同年代なのです。
世間から取り残されているよなぁ、とか。
このまま自分は浮き上がることなく終わっていくのかなぁ、とか。
漠然と、何の変哲もなく過ぎゆく日常のなかで、不安を感じているのです。
その不安は、盛親と同じように、20代後半ごろには確実に感じていました。
それが30代になってさらに膨らみ、いまでは時おり体調に影響を与えるようになっています。
大坂ノ陣前夜、豊臣家からの誘いを受けた時の盛親は、永遠につづく闇から抜け出したいと願っていたのではないでしょうか。
自分の運を愛さない者に運は微笑しない
運がないといえば、盛親は女運もありませんでした。
最愛の女性・田鶴には早くに逝かれたり
隠棲生活中に情を交わした阿咲が恐るべき悪女に変貌したり
(しかも、その正体は所司代の間者だったというおまけつき)
「殿、女運わるいっすね」と家臣に気の毒がられる始末です。
でも、この頃になると、歳を重ねた盛親は心が成熟し、考え深い男になっていました。
自分は女を愛しきったことがない。どの女にも煮えきらなかった。自分自身が女運を悪くしていた。そして、女運ばかりでなく、男としての人生の運も、おのれ自身が悪くしていたのだ――と思うようになっていたのです。
司馬先生は、地の文で「自分の運を愛さない者に運は微笑しない」と書いたうえで、盛親に以下のように心の声で語らせています。
(おれは、かつて、おれ自身に惚れこんだことがなかった。自分に惚れこみ、自分の才を信じて事を行なえば、人の世に不運などはあるまい。運は天から与えられるものではない。おれが不運だったとすれば、自分自身に対してさえおれは煮えきったことがなかったせいだろう)
長曾我部家の世子になったのも、土佐の国主になったのも、そして一介の牢人に転落したのも、盛親の意志ではありませんでした。盛親は、生まれてこのかた、自分の進む道をなにひとつとして自分で決めてこなかった(というか決められなかった)のです。
これでは、自分を愛することや、自分の才能を信じることもできません。煮えきらないまま自らの不運を嘆き、前に進むこともできない……。
しかし、このままでいいのか? 自分の人生、ここで終わっていいのか?
いや、いいわけがない。
大坂入城直前――盛親は、物語最後のヒロイン・お里に「(事の)成否は天にある」と励まされ、おのれの才能を天に向かって試す決意をします。
(お里のいうように、自分を賭けるだけでよい。賭ける、というそれだけのなかに、男の人生がある。賭けの結果は、二のつぎにすぎない)
盛親も、就職氷河期世代の私も、20代で人生につまずき、40代の中年になるまで自分の才能を試す機会を得られませんでした。
でも、「自分の運を愛さない者に運は微笑しない」のだとすれば、(現在の不遇な状況を作ったのは私のせいだと過剰に自分を責める必要はないとは思うけれど)チャレンジすることを諦めてはいけないのでしょう。
自分に惚れこみ、自分を信じて、自分の才能を天に向かって試す――そのタイミングに遅い早いなんて無いはずです。世間に望まれていようがいまいが、そんなのは関係ありません。
アラフォーだって……いや、何歳であろうとも、目的を定めて猫まっしぐらに突き進んでいいのです。成功するとは限りませんが、何度だってチャレンジをつづけることもまた才能。ひとになんと言われても、やりたいと思うことをやるのです。
司馬先生の『街道をゆく』シリーズの挿絵を担当し、司馬先生に愛された須田剋太画伯の言葉に、こんなものがあります。
世の中には素質がないといわれると、すぐにやめてしまう人が多いのですが、素質とは持続です。私はとにかくやり続けることが大事だと思います。続けられる執念を持ちなさいよ。とにかくやるしかないのです。人はそれぞれ違いがある。それで世の中が成り立っていくのが本当です。今の俗社会はまだまだ強い者が勝って、弱い者が滅んでしまう。でも人間が生きる道というのは、あるがままを生きることだと思うのです。
司馬先生の『戦雲の夢』や須田画伯の上記の言葉を読むたびに、自分を肯定して前に進んでみようと励まされます。
(まあ、メンタル弱めなので、またすぐに落ち込んだりするのですが。それでも、自分を諦めてしまう気にはなりません)
みなさんも、諦めてしまっている(またはチャレンジするか悩んでいる)夢や野望があるのなら、この小説を読んで勇気をもらい、自分の才能を天に向かって試してみてはどうでしょうか?😊
戦場に血と涙の雨が降る
大坂ノ陣に参戦した盛親は、旧臣五千人とともにめざましい活躍を見せます。
しかし、最終決戦で対峙した徳川方の藤堂高虎軍には、幼き日から共に育った傅人子(乳母の子供)の桑名弥次兵衛の姿が――。
戦場で敵味方となった盛親と弥次兵衛が交わす微笑。
そして、猛き武士の壮絶な最期。
ここのくだりは、涙なくして読めません……。
みなさんもぜひ、物語の結末を見届けてください。
本作『戦雲の夢』は、物語の構成から主人公の葛藤と成長、華々しくも哀しい合戦場面にいたるまで、非常に完成度が高く、司馬先生の初期長編の中でも出色の面白さだと思います。
「司馬作品の戦国小説を読んでみたいけど、4巻もある『国盗り物語』をいきなり読むのはちょっとハードルが高い……」と思う方は、まずは『戦雲の夢』をお手にとってみてはいかがでしょうか😊
(ちなみに、後に発表される『夏草の賦』では父親の長曾我部元親が主人公です。NHKさん、『夏草の賦』『戦雲の夢』を原作に大河ドラマやってくれませんかねぇ……)
今回の読書放浪はここまでです。
最後までご覧いただき、ありがとうございます‼️
「青星の読書放浪記」特別企画・司馬遼太郎初期長編を読もう!
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