
菜の花忌特別企画・司馬遼太郎初期長編を読もう!⑤『風神の門』
こんにちは、青星明良です。
この読書エッセイ『青星の読書放浪記』は、私が色んなジャンルの本を放浪し、推し作品をみなさんに紹介していくための連載です。
2月12日は、私が尊敬する司馬遼太郎先生の命日にあたる菜の花忌。
そこで、今週の2月10日(月)~2月14日(金)の5日間にわたって司馬先生の初期長編小説『梟の城』『花咲ける上方武士道』『風の武士』『戦雲の夢』『風神の門』を紹介していくことにしました。
最終日の今日は、『梟の城』につづいて伊賀忍者が主人公の『風神の門』です。
作品紹介
司馬遼太郎『風神の門』(新潮文庫)
関ヶ原の合戦の敗北によって豊臣家が大坂城にとじこめられてしまった時期、伊賀の忍者の頭領、霧隠才蔵は人ちがいで三河者らしき男たちに襲われたことから、豊臣・徳川の争いにまき込まれてゆく。生来、いかなる集団にも属することを嫌った才蔵だったが、軍師真田幸村の将器に惹かれ、甲賀の忍者、猿飛佐助とともに、豊臣家のために奮迅の働きをし、ついには徳川家康の首をねらうにいたる。
というわけで、真田十勇士で有名な霧隠才蔵と猿飛佐助が本作の中心人物です。
もちろん、他の十勇士も登場しますが、キャラ立ちしているのはお騒がせ者の三好清海入道ぐらいで、あくまでも才蔵と佐助がメインです。(真田幸村はちゃんと活躍します)。
ただ、主人公の才蔵は、すぐに真田幸村の麾下に入るわけではありません。
凄腕の伊賀忍者を味方に引き入れようとする徳川方と豊臣方から同時にスカウトされ、上巻の後半あたりまで才蔵は去就をハッキリさせません。
そのため、徳川と豊臣の隠密が才蔵という異才を確保すべく暗躍することになります。
一方の才蔵は、自らの才能ひとつで天下に自立せんと志す男。両陣営を天秤にかけつつ、自分が進むべき道を探っていきます。
(自分の陣営につかないのなら殺しちゃお! って態度に出られる時もあるので、天秤にかけると言いながらも命がけだったり……😅)
霧隠才蔵が真田十勇士の一員になることなんて前知識として知っているはずなのに、「才蔵はいったいどっち側につくんだ!?」とハラハラさせられる展開がつづきます。
そんな独立精神旺盛な才蔵ですが、英雄・真田幸村と出会うことによって運命が変転。
幸村の大器を前にして、(この男にだけはかなわない)と不思議に心地よい敗北感を味わいます。畏敬の念を幸村に抱いた才蔵は、彼になら仕えてもいいと、ついに心を決めます。
徳川と豊臣の両陣営のあいだを巧妙に泳いでいた才蔵が幸村と運命の邂逅を果たすまでのストーリーが上巻の見所と言っていいでしょう。
そして、いよいよ天下は風雲急を告げ、大坂の陣の勃発が刻一刻と迫ります。
豊臣家の滅亡を企てる徳川家康を暗殺すべく、霧隠才蔵&猿飛佐助のコンビが暗躍を開始。
下巻の前半では徳川方の風魔忍者との死闘、そして後半では大坂の陣での才蔵の暗躍が見所となります。果たして才蔵は家康を討つことができるのでしょうか?
ここから先は、本作の私流の読みどころを語っていきたいと思います😊
忍者たちの生き様
司馬先生は『梟の城』において自らの仕事に忠実たらんとする伊賀忍者・葛籠重蔵の戦いと葛藤を克明に描きました。そのあたりのことは『梟の城』を紹介した私の記事でも語っています。
自らの技術で天下に独り立ちし、己という個を貫く。それが伊賀忍者のプライド。
本作の主人公で、葛籠重蔵と同じ伊賀忍者である才蔵もまた、この伊賀の流儀を守って生きています。つまり、雇い主から仕事の依頼をうけても、それはあくまでも契約上の関係だということです。
もちろん、伊賀忍者にとって仕事は絶対(家康暗殺の仕事を幸村から引き受けた際、契約の証として自分の手のひらの肉を焼いている)。
しかし、その契約が終われば、次の仕事相手と契約を結ぶのです。
作中の才蔵の言葉を借りれば、
「従いはせぬ。霧隠才蔵は、あくまで天下一人の霧隠才蔵じゃ。たれの所有物でもない。(後略)」
というわけなのです。
伊賀忍者は現代でいうところのフリーランス的な生き方をしていると言えます。だから、雇用主に我が身を全て捧げているわけではありません。
(自分の技術を高く買ってくれた幸村のために粉骨してむくいたいと言いつつも、家来になって身も心も売り渡すことを否定するのはこのためです)
それと対照的なのが、もうひとりの主人公というべき甲賀忍者・猿飛佐助です。甲賀忍者は、伊賀忍者とはちがい、主君へ忠義を尽します。そして、恩義や節義を大事にしています。
きまった主君や組織に忠誠を誓うあたりは、ある意味、サラリーマン的な生き方と言えるでしょう。
才蔵は、そんな佐助(絶賛、才蔵を豊臣方にスカウト中)に対して、身も心も犬のように主家へ服従する侍みたいな「忠義屋」は人間のくずだと断じます。
当然、佐助は憤慨します。なんでそこまで言われやなあかんねんと。
才蔵の言い分はこうです。自分や佐助もふくめた忍者たちは、死ぬような思いをして、常人離れした忍術を習得してきたのだと。自分たちのような技術がない侍たちは、めしを喰っていくために、主人に犬馬のごとく仕えるしかないのだと。
「(前略)これほどの修業を、たれのためにした。主人の犬馬になるためか。ではあるまい。おのれのためじゃ。おのれが、たれの奴婢になるためではなく、技術だけでのびのびと世をひろやかに生きてゆくためであった。とすれば、猿飛佐助ほどの忍者が、ただのくず侍と同様、忠義、恩義などと念仏をとなえるのは妙ではないか」
簡単に言えば、「オレが働くのは、組織や集団のためじゃねぇ。オレ自身のスキルを活かすためだ!」ということですね。
ただ、ひとたる者が恩義や節義を忘れてはならないと考える佐助にしてみれば、才蔵の生き様は風狂いがいのなにものでもありません。彼は、隠岐殿(豊臣方の女間者として働いている大野治長の妹)に対して、才蔵をこう批評しています。
「(前略)あの者、才幹もあり、志も大きゅうござるが、そのこころざしの方向が決まっておりませぬ。自然、世に身を置く場所がなく、場所がないままに、世を相手に自在に遊び呆けようというのではござりますまいか。(後略)」
同じ忍者でもこれだけ生き様がちがうと、家康暗殺という共通の目的ができても、絶対的な味方とは言えない関係がしばらく続くのは仕方がないことかも……😅
ただ、こんなふうにお互いの生き方を拒絶し合いながらも、友垣と呼び合う友情関係が次第に芽生えていくのです。最終的には、仲間として共闘していくことに。
才蔵も、佐助も、なんだかんだ言いながら心の中では互いの才能や技術へのリスペクトがあったのでしょうね。
二人の忍者の対比と関係性は、非常に興味深いものがあります。
サラリーマンとフリーランス、2つの生き方
組織のために働くのか
自己実現のために働くのか
この働き方の問題は、甲賀忍者と伊賀忍者だけの問題ではありません。現代の私たちにとっても大きな問題だと思います。
集団に属して、みんなとひとつの目的へと向かっていくサラリーマンとしての生き方――それはやりがいを感じられる時もあるし、自分はひとりじゃないという安心と安定を得られます。
しかし、場合によっては、組織の犠牲になることを強いられたり、とんでもない上司の部下になったら毎日がパワハラ祭り……ということも😰
あと、組織に守られているということは、その組織と一蓮托生になるリスクがあるわけで……。
会社が突然倒産した時に、ろくに退職金をもらえないとかあり得る事態ですよね。そういうのはすごい困ります。20代前半だった私をリストラしたブラック会社も、その数年後にぶっ潰れて、噂では社員の人たちが大変だったらしい。
物語内でも豊臣首脳陣がダメダメだったせいで、豊臣方に従った多くの人々が大坂城とともに滅びることとなりました。
また、才蔵のように契約上の仕事はきちんとこなすけれど、その契約が終われば次の仕事相手と契約を結ぶフリーランス的な生き方は、自分がやりたいと思う仕事を選べるし、自分のスキルが高ければ高いほど活躍の場を増やすチャンスがあります。
ただ、常に自分はひとりであるという孤独や不安があることは否めません。
世の中に大変動があって仕事の依頼が激減したりとか、自分自身が病気になってしまったりとか……そういう時に苦境に立たされることになります。
集団に属さない者の孤独と悲哀を自覚し、時には自ら滑稽に感じることもあったのでしょう。才蔵は、高貴な血筋であるということだけで生きてこられた菊亭晴季という公卿と相対したとき、「われら、土くれのごとき人間は、男を売って生きるしか手がござらぬ」とやや自虐的な表現で自分の忍者としての生き様を語っています。
独立不羈の伊賀忍者と主君に忠誠を誓う甲賀忍者。
2つの忍者の生き様は、遠い昔話でもなんでもなんでもありません。いま生きている私たちと何ら変わりない働き方、生き方の問題なのです。
そう考えると、読者のみなさんもそれぞれの職種に応じて、才蔵と佐助のどちらに感情移入するか変わってくるかも知れませんね。
甲賀忍者から伊賀忍者へ転身した司馬先生
かくのごとく、『風神の門』では伊賀忍者と甲賀忍者の生き様のちがいが、同じ忍者が主役の『梟の城』以上に鮮明に描かれています。
では、それはなぜなのか。私が想像するに、司馬先生がこの小説を書いていた時期と関係があるかも知れません。
『梟の城』で直木賞を受賞した司馬先生は、翌年の1961年3月に産経新聞社を退社しています。(ただし、新潮文庫刊『司馬遼太郎が考えたこと1』の作品譜によると、それよりも前から「出社せずとも籍をおく」という状態だったらしい)。
そして、同年の5月に大阪新聞(産経新聞の姉妹紙)、6月に東京タイムズで連載をスタートさせたのが『風神の門』でした。
つまり、司馬先生はちょうど新聞記者(サラリーマン=甲賀忍者)から作家(フリーランス=伊賀忍者)へと転身した直後だったのです。
だから、この当時――38歳の若き司馬先生は、上司や仲間と働いた新聞記者時代の良い思い出や苦い記憶、自らの能力だけを頼りにこれから飛び込んでいく小説家人生への不安と野望を胸に『風神の門』を執筆していたはずなのです。
サラリーマンとフリーランス。2つの世界を知り、その境目をこえた司馬先生だからこそ、猿飛佐助と霧隠才蔵をリアルな忍者として活写できたのだと思われます。
この小説において、私が考えている男の魅力と男のかなしみとその情熱とこっけいさを語ってみるつもりだ。
独立独歩で生きる人生も、組織の中で生きる人生も、それぞれに悲哀があり、時として他人の目からは滑稽にうつることもあるはず。
しかし、その悲哀と滑稽さが、人間の魅力であり、美しさなのかも知れません。
(でも、現実は厳しいですけどね。物語では大坂城炎上するし、令和の現代では物価るんるんあがるんるんで生活苦しいし。それでも、辛くて挫けそうでも、会社のためまたは自分のために働いているみなさんは素晴らしい‼️ 現代の甲賀忍者であり、伊賀忍者だ‼️😊)
私は『風神の門』をサラリーマンとフリーランスという観点で読んでみましたが、他にも面白い読み方があるかも知れません。物語の読み方というのは、読者の数だけ無限にあると思うので、この小説を読んで新しい発見をもしもしたら、私にぜひ教えてください✨️✨️
……というわけで、今回の読書放浪はここまでです。最後までご覧いただき、ありがとうございます‼️
そして、「菜の花忌特別企画・司馬遼太郎初期長編を読もう!」の5日連続投稿の日程も無事に終えることができました。(よ、よかった……)。
「青星の読書放浪記」は、レギュラー連載日が土曜日ですが、今後もこういった企画をたまにやるかも知れません。
読者の皆様の反響が良かった場合、調子に乗って定期的にやるかも???😼
ちなみに、明日は土曜日なので、レギュラー連載日です。
オススメの枕草子関連本を複数紹介していきたいと思います。「『光る君へ』の次は大河ドラマ清少納言だ!」と待ち望んでいる人(←私のこと)は必見です‼️
「青星の読書放浪記」特別企画・司馬遼太郎初期長編を読もう!
他作品リンク
いいなと思ったら応援しよう!
