『蛇にピアス』 金原ひとみ
私がルイに出会ったのは中学2年生の秋だった。学校では全国読書週間とやらで、朝礼が始まる前、10分間ぐらいを使ってみんなで読書をさせられた。普段読書をする経験のない私は、保護者や卒業生から寄贈された本が並ぶ「学級文庫」という、黒板の横に設置されている書棚から、手ごろな本を選んだ。それが『蛇にピアス』だった。
しばらく座って本を読んでいると、だれかが私の肩を叩く。
振り向くと、金髪のギャルが悪戯っぽい笑みを浮かべて私を見ている。肌が白くて、年齢は分からないが、5,6個ぐらい上に見えた。黒い学ランと紺のセーラーで埋め尽くされた教室にはそぐわない、白いピラピラなワンピースを着ている。耳や唇の下にいくつもピアスが付いている。
「な、なんですか?」私は恐る恐る彼女に聞いた。
彼女は相変わらず悪戯っぽい笑みを浮かべたままこちらを見ている。
「読書かぁ、最近の中学生はマジメですなぁ」
彼女はふざけた調子で、でもどこか遠くを見るような目をしてつぶやいた。
「本は、あまり読まれないんですか?」
「うん、まったく。というか、私の周りにいる人で本を読んでる人見たことない。最後に読んだのはいつだったかなぁ。私も君にあやかって久しぶりに何か読んでみようかな・・・」
「あの、これ面白いですよ。」
私は手に持っていた『蛇にピアス』を彼女に見せた。彼女は曖昧に微笑んでそっと本を私の手に返す。
「ありがとう。でも、悲しい話は嫌いなの。悲しい事は現実の中だけで十分。虚構の中でくらい楽しくいたいの。」
ちょっとだけ悲しそうな彼女の顔を見て、私はハッとした。
「あの、あなたはひょっとして?」
彼女は人差し指を口に当てて、また悪戯っぽく笑った。
「私の名前は、ルイ・ヴィトンの・・・」
ハッと目を覚ました。開けた窓から暖かい風が舞い込んできて、カーテンをヒラヒラさせている。どうやら眠っていたようだ。
私はふと、今読んでいる本の著者近影を見てみた。幸せそうな顔をしてこちらを見つめている。最近、彼女には娘が出来たそうだ。二児のママである。
約二〇年前、中学二年生の私が出会った金髪の少女に似ているようで、似ていない。二人の一番大きな違いは、本を読んできたかどうかかもしれない。
彼女はあれから本を読んだのだろうか?
私ももう三〇代半ば。周りはとうに結婚し、子供が保育園に通い始めているのに、私はまだ独身である。
今まで生きてきて楽しい事ばかりではなかった。むしろ辛い事の方が多い。でも、私は今も本を読んでいる。学級文庫も捨てたもんじゃない。
再び、著者近影を見つめると、「きっと大丈夫。」
彼女は優しくこちらを見つめている。
私は挟んでいた栞を指で探り当て、続きを読み始めた。
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