東野圭吾「クスノキの番人」と祖父の思い出

僕は子供の頃、おじいちゃんっ子だった。
途中で数年父親の単身赴任に伴い関西に住んでいたこともあったが、大学まで横浜で母方の祖父母と共に3世帯で住んでいた。
唯一の男孫だったこともあり、母方の祖父は本当に僕を可愛がってくれ、そしてよく遊んでくれた。
今思うと、元々祖父自体が子供が好きで、Nゲージやプラモデルなどのおもちゃの類が好きだったということ、そして(今の僕もそうだが)あまり社交的でなく、家族と時間を過ごすこど好きだったということもあったと思う。
とにかく、祖父には本当によく遊んでもらった。戦時中に満州にいた頃に覚えた言葉だということで、君と僕とは朋友(ぽんゆう)だ、といつも言って可愛がってくれた。

1番覚えているのが、中学受験に挑んでいた小学校6年生の夏休みのこと。
僕は連日長時間行われた塾の夏期講習のせいでひどい肩こりに悩まされていて、毎日頭痛に苦しんでいた。そんな様子を見て祖父は、少し体を動かした方がいいと、毎朝夏期講習が始まるまでの間、バスに乗って近くの公園の中にある区民プールに僕を連れ出してくれた。

毎日祖父と1時間程度泳いで、帰りにアイスボックスのレモン味を買ってもらい、2人で食べながら歩いて帰った。祖父はその間ずっとご機嫌で、僕の知らない昔の歌謡曲を高らかに歌っていた。当時もう70歳は超えていたと思うけど、僕よりずっと多く泳いでいた気がするし、そう考えるとやはりあの世代の体力はすごい。

毎日祖父とプールに通った日々がすごく印象に残っている。

その後二十年近く時がすぎて、元気だった祖父も老人ホームで介護をしてもらうようになった。認知症が進んで、家族のこと、自分のこと、ほとんどのことがわからなくなっていた。
ただ一つだけ、若い頃に好きだった歌のことだけは覚えているらしく、休日にたまにホームに行くことができると、祖父はずっと、あの夏と同じ歌を体を揺らしながら歌っていた。

当時僕はすでに結婚をしていたので、祖父を訪ねるときは妻と共に行っていたが、奥さんと一緒にきたよ、という度にこちらの目を見て嬉しげに拍手をしてくれた。毎回、この人は誰だ、と書いてきて、奥さんだと答えると拍手をしてくれた。
僕のことは家族と認識はしてはいたようだが、誰かまでわかっていたのかどうか。ただ、朋友の結婚を毎回喜んでくれていたのではないかと勝手に思っている。

やっと本の話に戻るが、東野圭吾さんの「クスノキの番人」を読んだとき、祖父のことが頭に思い起こされてならなかった。

言葉を超えた思いを、どう伝えるか。小説の中で祈念として描かれているようなことを、自分はしてもらったことがある。

今は亡き祖父が自分にしてくれたこと、むけてくれた愛情の形はこの小説に描かれているような奇跡みたいなことだったのかもしれないなと思う。

この優しい小説を通して、誰か思い出す人がいるならば、それは人生で1番価値のある思い出なのかもしれない。

そんなことを思った、とても良い本でした。

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