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交通事故から1ヶ月【努力と我慢と根性だけでは乗り越えられない】

交通事故→コロナ→仕事復帰するまでの道のり
(病院規定の休み期間)

交通事故にあってから
整形外科は、二箇所通院していた。

•自宅から数分の整形外科
•勤務先の病院の整形外科

仕事に復帰した場合、
自宅の近くの病院の受診時間に、
間に合わないため、
職場の整形外科もかかっていた。
(保険会社は、了承済み)

コロナ隔離期間は、終わったが
まだ仕事には、
病院規定の休みがあるため、
仕事復帰はできなかった。
そのため、
コロナ後は、
近所の整形外科にリハビリに行っていた。

約1週間ぶりのリハビリ再開
リハビリが、しばらくできていなかったため、
頸が何とも言えないゴリゴリになっていた。
痛みが明らかに悪化している状態だった。

リハビリスタッフからは、
『頸が、大変なことになってるね。また、
リハビリしてゴリゴリをとっていきましょう。』

私も、
気付いていた。
悪化している状態。

リハビリをしないと、
こんな頸が固まることになるなんて•••。
知らなかった。
動きの制限もあって、
左が、向きにくい。
寝ていても、頸が痛い。
起きていても、何をしていても痛い。
また、頸が棒になってる。
いつになったら、この痛みは、なくなるの?

そんな痛みに対する思いが
頭の中をグルグルし、毎日耐える戦いだった。

普通の私の頸って?
どうだったかもう思い出せないでいた。
なにが普通なのかが分からない。

痛い、痛い、痛い。
痛くない日なんてなかった。

コロナから、仕事復帰について

コロナの隔離期間が明けても
頸がそのような状態なら
仕事は無理ではないか、
休みを延長した方がいいのではないか。
夫や、母親から心配されていた。

それでも、私の中では
もう決まっていた。

『仕事は復帰する。』

コロナで、休むことになり、
さらに職場に迷惑をかけている。
これ以上は、迷惑かけれない。
そればかり考えていた。

仕事復帰に向けて
毎日この日から、リハビリ散歩を始める。
毎日10000歩を目標に。
Voicyを聴きながら、
必死に歩いていた。

体力を落としたくない
仕事に復帰した時、
ちゃんと働けるように、
動けるように。
みんなに迷惑かけないように。
毎日歩こう‼︎
そう決めて、散歩していた。

私には、
『休む』
と、いう選択肢はなかった。


なぜなら、
休んで、治る保証は、
どこにもないから•••。


休んで確実に治るのであれば、
休む選択肢もあったのかもしれないが、
当時、確実に治る見込みは、
1mmも、見えていなかった。

手足は動く‼︎
働けないことはないだろう。
だましだまし働いて行こう‼︎

そう決めて、
リハビリ散歩を
毎日欠かさずやっていた。

散歩中、
職場の人から、

『いつから仕事?』
『お祓い行った方がいいんじゃない?』

などと言われた言葉。
普通の言葉。
普通の言葉なのに•••。

普段なら、何とも思わないのに。

当時の私の心には
この言葉でさえも、突き刺さった。

『お祓いの予約はもうしている。』
『仕事は、◯日から。』
と、返答する。

復帰したいから
こうやって散歩してるでしょ。
遊んでいるわけじゃないよ。

必死な思いで、
リハビリ散歩してるんだけど•••。

次は何を言われるんだろ。

今は、たわいもない言葉でも、
私の心に、グサグサ突き刺される。
きつい言葉は適応できない。

この時点で、
気付いていた。
身体だけではなく
心の受け止め方も、変わってきていた。
交通事故から1ヶ月もまだたっていないのに、

私が、私ではなくなってきていた。

【1年たった今だから、言える言葉】

無理しないで休むべきだった。
治る保証はないけれど•••。
無理して、
仕事に復帰して、さらに身体に負担をかけて、
悪化する未来しかなかった。
身体だけではなく、
心も•••。

心の変化にこの時点で、
気付いていたのに、
ちゃんと内側の私の思いに
向き合えてなかった。
『仕事に復帰する。』
そのゴールしか見えていなく
寄り道せずに、突き進まないと。
と、必死だった。

この選択が、
自分を苦しめることになるなんて
まだ、当時は、気づけていなかった。

努力と我慢と根性だけでは、
乗り越えられないのに、
乗り越えようと必死に
立ち向かっていた。


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