家族の在り方|大事なのは 正しさ or 愛 ?
問題の無い家族ってあるの?と思うほど
「家族は歪(いびつ)な関係で成り立っている」
そういうものだと思っていました。
わたしが育った家もそうだし、周りの話を聞いてもそうだなと。
幸せな時期はあるにしても、外から見たら問題無さそうでも、家族って色んなことを経験してきて、夫婦・親子・兄弟のパワーバランス、お金の行く先、精神的負担などなど、少しづつオリジナルのカタチに作られます。
家族は歪だけど絶妙な均衡を保っています。
でも日本の教育や社会は、正しさや模範解答を求められ、監理が行き届いた組織の規律が磨かれ、どんどん「常識」にはまらなくては生きづらい部分もありますよね。
社会は正しさを追求しつづけ、
ハラスメント排除、
トラブル回避・対策、
人との距離は保ってストレス軽減、
心のダメージを無くしていく方向に進んでます。
(↑書いてて思った、カタカナばかり笑)
そんな社会で頑張って生きてきたら、
小さくておかしな社会である「家族」は、
煩わしく、ストレスの温床にもなりうるなと。
そうなると一人でいる方が気楽になります。
孤独を感じさせない便利なものもたくさんあるし。
でも・・・!
常識や正しさを求められるこんな社会になってしまったからこそ!
歪な関係で成り立つ家族こそ、大事にして、家族や自分と向き合って、ときに離れて、あきらめて、そんなことをしながら、
正しさを主張するよりも、許して、許される。
不器用で伝わってこない愛に気付く。
愛に気付かなった自分の愚かさを認める。
嫌ってた家族がかわいく想える。
分かりやすい愛だけが愛じゃない。
家族には、見えない愛がたくさん詰まっている。
家族は常識や正しさを上回る
愛で繋がるもの。
そもそも家族のカタチを社会の常識にはめることはできない。
家族の愛に勝るものはない。
に、行き着きました。
これまでわたしは、家族は本当は大事な存在なのに、バトルしてきたし、疎ましく思っている時期もありました。わたしが正しい、向こうが間違っていると。「家族=愛」なんて綺麗ごとだと思っていました。でもそんなわたしが安心して生意気口をきかせてくれた存在でもあります。謝らなくても感謝を伝えなくても、わたしが気付かないずっと高いところから、愛情はこちらに向けられていました。そして伝わらなくても必死でわたしが伝えてきた愛も、いつか伝わります。
そんなこと分かっているつもりで、自分が親になるまでは本当の意味で分かっていませんでした。家族の誰かが我慢しているとも言えるし、そうではなくそれは愛だとも言える。
わたしもいつか子どもから、遠慮なく安心して憎まれ口をたたかれる存在になっても、それはそれで、わたしなりの愛を与え続けていきたいです。大きくなるにつれて、社会に出るための正しさを教えていき、それが家族愛をゆがめるものへと進化しても、必然だと理解していきたいです。
家族がバラバラな時期もあったし、今でも家族みんな仲良し~♡では無いけど、歪な関係のまま、この先も家族の変化を受け入れていこうと、そんなことを思った少し肌寒い雨の日でした。