天明の大噴火に学ぶ旅の話。
8月も終わりまして地震に台風、連日の線状降水帯と災害に次ぐ災害の日本だと実感する夏でした。いや、まだ夏か…。
なんでしょうほんとこの国、自然が容赦ない。
さて、防災意識の高まる昨今。あと、猛暑対策も高まるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
今回は群馬県のオススメ旅コースを紹介します。
えっ、タイトルと違う?何を仰いますやら。
皆さんは避暑地と聞いて思い浮かぶ場所、いくつかあると思います。代表的な所で言えば軽井沢ですね。関東民にとってはとりあえず暑くなったら軽井沢みたいなとこあると思います。
一つ聞きますけど、軽井沢の何処が涼しいんですか?暑いでしょ、あそこ。
軽井沢からもう少し上って、嬬恋、嬬恋から上って草津、草津から上って志賀高原でようやく涼しくなるんじゃないかっていつも思ってます。
そりゃ、昔は涼しかったかも知らんけど、イメージで語るなって話です。
さて、今回はそんなオシャレな軽井沢からもう少し上に上がって、地味だけどタメになって、軽井沢より涼しいオススメの群馬旅を提案。
あの辺りの地域を見下ろす浅間山から色々と学んでいきたいと思います。
嬬恋観光定番中の定番、奇勝「鬼押出し」
軽井沢から有料道路「浅間白根火山ルート」を上っていくと出てきますのが奇勝「鬼押出し」。
江戸時代に起こった天明の大噴火で浅間山から流れ出た溶岩流が冷えて固まった、荒々しい景観の公園であります。
まずはこの鬼押出しができるきっかけになった天明の大噴火について学びましょう。
天明の大噴火は1783年8月5日に起こった浅間山の大規模な噴火の事を言います。この年は春ごろから既に小規模な爆発や鳴動がありましたが、8月5日にクライマックスの爆発を起こします。
この鬼押出しはその際に形成したと考えられています。地獄の底から鬼達が岩を押し出すような光景だったのでしょう。
浅間山の噴火の被害は甚大なものでした。
この噴火による直接的な死者は1600人を越えますが、火山から噴出した火山灰が空中に留まり、日本中に冷夏をもたらし、天明の大飢饉の一因になったことも含めると、とんでもない被害だったことが伺えます。
またこの年はアイスランドのラキ火山やグリムスヴォトンも大規模な噴火をしています。火山灰による冷害は世界中に被害を及ぼし、フランス革命の遠因にもなりました。
さて、この噴火ですがこの鬼押出しから浅間山北面を中心に土石雪崩が発生しました。その土石雪崩を追ってみましょう。
日本のポンペイ「鎌原集落」
浅間白根火山ルートを降りきった場所に、嬬恋郷土資料館があります。こちらは鎌原(かんばら)という集落であり、浅間山の土石雪崩の被害を直に受けた場所でした。
嬬恋郷土資料館のすぐそばの階段を下りると「鎌原観音堂」があります。ここがかつての鎌原集落で土石雪崩の被害を避け、唯一残った場所です。
村民570名のうち、鎌原土石雪崩によって477名が死亡。残りの93名がこの鎌原観音堂に避難した人々でした。
かつての鎌原村は現在の地表からおよそ6メートルも下にあります。観音堂が地表より高かったおかげでここに避難した人は難を逃れたわけです。
この鎌原観音堂への埋没した階段では女性が女性をおぶったような遺骨が見つかっています。調査により顔の似た若い女性と老齢の女性であることが判明。もしかすると親子だったのかもしれません。
今まさにそこに迫っている危機。それでも彼女は老齢の女性を見捨てず、土石雪崩に巻き込まれてしまいました。
全てを失った鎌原集落ですが、人間の力というものは底が知れません。配偶者を失ったもの同士で婚姻を結び、親を失った子は養子にと、生存者同士で家族を構成し復興へと歩みます。
自然の恐ろしさ、人の持つ献身、生きる力強さがこの静かな地から伝わってきます。
嬬恋村郷土資料館では、この鎌原地区で発掘された物や当時の噴火の様子を描いた資料を展示。ボランティアのガイドさんからも詳しい話を聞くことができます。
また、個人的に興味を惹かれたのは、ここから随分遠い場所にある小串鉱山についての資料があったことです。位置的には嬬恋村なんですが、こっから行くと遠いです。
浅間山とはあんまし関係ないですが、ちょっと紹介しますね。
上記の場所、見たことある人も多いのでは?グンマーネタを代表する写真です。
ここは万座温泉からちょっと走った場所にある毛無峠と呼ばれる見晴らしの良い峠です。なんでもドローン愛好家の聖地とか。
この地に立つと山肌に屹立する索道跡が目立ちます。
さらにその下(立ち入り禁止ですが)に鉱山跡地があります。
この小串鉱山、1937年に大規模な地滑りを起こしました。地滑りは鉱山住宅を飲み込み、245名の死者を出しました。てっきり、それが原因で閉山したと思ってたのですが、閉山はそれから34年後の1971年。
当時の鉱山での活気ある生活が資料にまとめられています。
なんか、良いですよね。鉱山の生活って。平成生まれの私にはまったく馴染みはありませんが、危険と隣り合わせで、それでも活気があって、遺構は退廃的を絵に描いたような美しさがあって…マニアが多いのも頷けます。
嬬恋パノラマラインのススメ
さて、嬬恋方面に進みましょう。
嬬恋村のメインは国道144号になります。ここから広域農道であり、村道の嬬恋パノラマラインに接続。
嬬恋といえば高原野菜である嬬恋キャベツですが、このパノラマライン沿いにある農地が主な収穫地になります。
だだっ広い農地を貫くパノラマライン。交通量も少なく、まさに快適な旅って景色です。十勝とか行きたい。
いいでしょ?ほとんど人いないんですよ。勿体無い。
また嬬恋パノラマラインには愛妻の丘と呼ばれる公園(?)があります。
熟年夫婦向けなんですね。なんもないですもん。つまり私向きでもあります。「何も無い」が好き。なので恋人同士向きではないです。恋人飽きますよ。
なんにしても良い道。
景色がいい。交通量少ない。見通し良い。走りやすい。ストレスフリー。なんで私バイクの免許持ってないんでしょ。おすすめツーリングスポットいっぱい知ってるんですけど。
ここから東に向かうと草津方面ですが、少し下ってからそのまま145号を八ッ場ダムの方へ。
浅間山関連に話を戻します。
天明泥流を学ぶ
浅間山の噴出物は鎌原集落を壊滅させ、吾妻川に雪崩れ込みます。天明泥流と呼ばれるこの土砂の流れは吾妻川沿いの村々を飲み込みながら利根川に合流。
遠く離れた東京にも泥流に巻き込まれた遺体が打ち上げられ、葛飾区や墨田区に供養塔が建てられています。
八ッ場ダムすぐそばの天明泥流ミュージアムでは当時の様子を映像で再現。立体音響と大画面により泥流の恐ろしさを伝えます。
入館からいきなり展示ではなく、まず映像を見てくださいってのはなんだか面白い作りです。
ちなみに開館は2021年。つい最近なのでとっても綺麗。
すぐそばにある移築された木造校舎である長野原町立第一小学校跡ではなんだかノスタルジックな気持ちになれます。
災害と共に生きていく
浅間山は近年でも火山活動が見られていますが、同時にその予測が難しいとされています。
2014年木曽御嶽山での小規模爆発も全く予測のできない中起こった悲劇でした。
奇しくも(?)私が天明泥流ミュージアムに訪れたその2日後、8/26は今年制定されたばかりの「火山防災の日」になりました。これは日本で初めての火山観測所が浅間山に設けられた日に因んでいます。
浅間山の存在は日本の火山防災のシンボルでもあるってことですね。
私が嬬恋郷土資料館でボランティアのガイドさんから聞いた話で印象深く残っている言葉があります。
「私たちがすべきは防災でなく、減災です」
災害は防ぐことはできません。日本にいる限り、地震や台風、火山による災害の危険性は非常に高く、誰がいつその災害に巻き込まれるかは分かりません。
だからこそ、極力被害を減らすこと。日々の心がけ、ハザードマップの確認、備蓄食料の確保。もし災害に遭っても被害を減らせるように努めることだが大事です。
さらにはインターネットの活用。いつの時代も被害に遭われた方々が未来のために、当時の様子を記してきました。天明の大噴火も様々な人が様々な形でその被害を綴っています。
それは現代も同じく、大地震や大津波、台風や洪水の中でどんな危険があったか、何が必要だったかを昔よりもずっと多くの情報量で皆さんが発信しています。それを常に頭に入れておくのも大事なことです。ある意味、災害大国日本で生きていくための昔ながらの知恵と言っても良いでしょう。
オシャレな軽井沢も良いですが、もう少し北上して浅間山周辺で天明の大噴火を学べる施設や遺構を周ると、そんな防災意識が高まります。ここには悲劇としか言いようのない天災の記憶と強い防災意識が生きている。たまにはお勉強の旅も良いでしょう。しかも自分の命に関わる大事なお勉強です。
ちなみに道路愛好家的な情報を入れますと、今年の春に上信道が開通。渋川から草津間の通行がスムーズになりました。これからも開通区間が増えていくそうなので、そういう意味でもおススメコースになります。
今回はそんな旅の提案でした。