思い通りになることがごきげんの秘訣なんですか?
ごきげんに生きます.
とプロフィールに書いていたことを久しぶりに思い出した。いま参画しているプロジェクトの中でプロフィール帳をみんなで作ろう!というアイデアがあったからだ。共創の前にはお互いを知る必要がある、と常々思うのでいいねー!ってなった。
プロフィールを書いてゆく中で、自分のことも定期的に話せるようにしておかないとだなーと。というのも「私を作った作品」というプロフィール欄が用意されていたのだが、これがまぁ、全然出て来なかったのだ。
唯一出てきた作品としてはラジオを3つ
「THINK ROOM, ディグトリオ, イーゴンお前もか」
いつも日常に潤いをありがとうございます。
自分を作った漫画ってなんだっけ、ゲームだって結構やってきたし、、、自分が何の要素でできていたのかの因数分解にちょうどよかった。因数分解の結果、何が残ったのかはまたの機会に書こうかな、頼んだ未来の自分。
自由記述欄と出会った。
自分が作ってきたモノや、やってきたことを書けるスペース。うむ、こりゃ困った。Xは好きな人と好きなモノを追うために使い、Instagramは「っぽい」投稿をして遊んでいるくらいで、何か自分を表現するものがなかったから。そこで唯一、自己紹介になるかもな!、と思ったのがこのnoteだった。
さて、振り返ってみると最近はおサボり気味だった。毎日書いていた頃に比べると描くスピードもそうだし、一番は脳みそから指先まで言葉が走るスピードがとにかく遅くなっていることに気づく。
ふむ、継続は力なりですな。
ごきげんに生きます。
そう書き始めた自分はいまご機嫌だろうか。
カフェラテを飲みながら考える、そこはワンちゃんも入れるカフェ。珍しくカフェラテを頼んだからかもしれない、カフェラテに似た色のワンちゃんがお越しになられた。こんにちワン。心の中ではそんな気持ち、だった。
ただまぁよく吠える、よく吠える。
特に他のワンちゃんが来た時にそのラテ犬はしっぽをブンブン振りながら吠えるのだ。曰く、まだ1歳のいたずらっこ。
正直に段々と心がざわつき始めた。
何に対してのざわつきなのか。これはまぁごきげんなんて考えられなくなったわけです。もう不機嫌に片足を突っ込んでいたわけで。
吠えることは百歩譲って良いとする(子供だってよく泣くもんだ)、ただ吠えてジタバタするラテ犬のリードが長いままなのはどうなのだ。横を通る女の子が「こわい」と一言。そうだよね、僕が同じ歳だったらめちゃ逃げてたと思う。
ごきげんについて考え始めた男の心はささくれ立ってトゲトゲになっていた。この文章を書き始めて5分くらいしてラテ犬さんが退出なされた。そこからは少しずつ落ち着きを取り戻してきている。
不思議だ、ごきげんって何だろう。
ラテ犬と飼い主さんの登場が一石を投じてくる
「思い通りになることがごきげんの秘訣なんですか?」と
確かに、ラテ犬が静かで・店内がカオスでなければ考え事が進んで”ごきげん”ではあったかもしれない。
ただ「ゴキゲン」という生き物はそんな外的要因ばかりに影響されるのだろうか。ふむ、、、外的要因の影響を受けることはあるだろう。けれど、内的要因の方が変えられそうじゃないか。
過去の僕はこう考えていたようだ。ただそれだけではないものがラテ犬のおかげでチラッと見えた気がする。
少しだけキゲンが良くなってきたところで今日はここまで。
これからもどうぞよしなに。