改めて、プロセスを信じる 2025/01/02
プロセスを信じる
この道がどこかにつながっていると信じる
過去を経て 今ここに辿り着いていることを
感じて 見て 観て 知って 受け取って 理解する
完璧である必要はない
今受け取れることを受け取り
今受け取れないことを受け取れないのもまた
今ここのわたしが体験しているプロセスなのだということ
それをどこまでも落とし込む
焦らない 比べない ないことにしない
そして あることにしない
全部とても大切なこと
起きていることを勝手に自分の都合のいいものにしない
それはコントロールしないということ
ご都合主義の現実を手放すこと
都合が良くても悪くても
自我にとってはブレーキをかけられていればいいから
まんまと自分に騙されないこと
前に進まなければいい
変わらなければいい
本当にしたいことは
同じくらいかそれ以上にしたくない顔をしているし
したくないことだと思い込まされている
誰にって? もちろん自分に
そして自分じゃないと思い込んでいる他者に
巧妙にその役をさせている
被害者でいるのは楽だ
自分の信じたものの中で
勝手に そして必死になって
ただ 傷付いていればいいのだから
「このnoteは誰かを傷付けるためには
書いていません」という注意書きをtopに書こうとして
やっぱりやめることにした
タイトルの「プロセスを信じる」が
まさに ここにあると思ったから
言い訳をしたいのはわたしだ
自分は悪くない あなたの敵ではないと
証明したいのはわたしだ
それを決めるのはわたしではないのに
勝手に先走って言い訳をする癖がわたしにはある
傷付きたくないから
相手が自由であることが怖いから
わたしの想定を超えられるのが怖いから
「この枠の中にいてね、あなたもわたしも」という
無言を圧をついかけてしまう
自分が怖いことを誤魔化すために
ちゃんとしているように
誰かのことを思いやっているように見えるように
実際そう思っているわたしはいる
綺麗事にきこえるかもしれないが本当にいる
でもそれすら 最後は委ねるしかないのだ
誰かの感じることを勝手に変えることはできない
コントロールなんてもっとできない
わたしであるを徹底的に
遊びながらやっていく
分離なくただ体現していく
それしかできない
それによって離れる人は離れるし
離れない人は離れない
それだけのこと
それを受け取って 受け容れて
そこにいるわたしを受け取って 受け容れて
ただ より透明であることだけを
体現していく
体験と体感と在り方の螺旋
今ここを感じながら歩いていく
(ときにワープもする)
プロセスを信じる
今ここのわたしを信じる
過去のわたしも 未来のわたしも
過去も未来も周りの人もわたしも
全部信じる
知ってた?
信じるって何もしないことなんだよ
そのままにすること
コントロールしないこと
その中で
コントロールだと思い込んでいるノットコントロールを
受け取り直していくこと
そこにいるわたしを見つけて
ただ 手を差し伸べること
そのわたしが体験したいことを
そのままさせてあげること
2025/01/02 -2 (281/366-2024 003/365-2025)