ENDありき=THD ENDではない。【#ホニャララLIVE 042】
今夜も #ホニャララLIVE ありがとうございました!!!
今回も本当にいろんな意味ですごい回でした⚡️⚡️⚡️
本当に色んなことをものすごいスピードで(話すのが早いのではなく※いやそれは普通に早いですがw)、内容の展開というか、テンポというか、やり取りというか、まさにヴァイブス?!?!
それが、目に見えて四方八方に飛び交っているようで、見てるこちらもまさに感電しそう⚡️な回でした。
基本的にはものすごく気持ちよかったんですが、ちょいちょい1.75倍速とかで見てたんでそこはヤバかったです(笑)
23:08頃に起こった地震については、あまり状況のわからない中(震源地から離れているため揺れなかったので)、どう扱っていいのかわからないのであえて触れていません。
ご了承ください。
ENDありき
最後にyujiさんが言っておられたこの言葉がものすごく心に残ったので、今回はここを掘り下げてみようと思います。
他の「まさに風の時代!」なお話とか、今/これからの時代の流れ、 変化、みらいはどうなる?じゃあ今はどうする?とかの話は、本編をご自身で見ていただくのが1番だと思うから。
…話を戻して、ENDありきについて。
「例えば3年で終わりっていう会社」がほんとにあったら。
その会社はどうなるんだろう。
ここでポイントとして捉えておかないといけないことは、長く話せばいいというものでもなく、短ければいいというものでもなく、そもそもこの話は、そういう話ですらもないということです。
(毎度毎度ことば遊びみたいな表現ですいません)
最初にこの言葉を聞いたとき、ENDありきで物事を考えるということ自体が、(土の時代は特に)あまりされてなかったんじゃないかなと思ったんです。
「積み上げること」に価値が大きい時代だから、終わりはない方が価値がある、という思い込みがある気がします。だから、「世の中が決めた終わりのタイミングがきたからやめる」のが良いこと、というか。
例えば、ぱっと出てくるのはこの辺です。学歴(中退とかしない)、皆勤賞、終身雇用、などなど。
だから、「続かない」ことは無価値だとされていた気がしますし、そういうのが出来ないと社会不適合者みたいに扱われるとか。←これはわたしも体験しましたし、今もまだ感じてる最中です。
ENDありき≠THE END
でも、言葉をENDありき、としたからって、全てのものが必ずそのタイミングでTHE ENDとなる訳では無いと思いました。
絶対的にそうなる時待っていることは、《死》だけじゃないかなぁ。…さらにいうなら《肉体の死》が正しいかもしれない。魂が死ぬのかは、わたしは今世では死んだことがないのでわかりません(が、わたしは輪廻転生はあると思ってます)。
とすると、本当の意味でのTHE ENDは死以外にはない。
それって、、、
なんか、ものすごい可能性?を感じるなぁと思いました。上手く言語化できないのですが、終わりってないんですよ。おわりははじまりなので。
おわりははじまり
おわりははじまりだし、はじまりはおわり(のはじまり)でもある。
でも、ひよこかたまごか理論(勝手に言ってます)のように、どちらが先でどちらが後か、と言われると「はじまりがあっておわりがくる」と思う人の割合の方が多いような気がします。…なんとなくですが。
で、そう考えたときに、わたしは今まで「自分は終わらせるのが苦手だな」って思い込んでいたんですけど、それってもしかしたら違うのかも。
もしかしたら、「終わらせられない」んじゃなくて、「はじめるのがうまい」んじゃない?
「継続するのが苦手で飽きっぽい」んじゃなくて、「瞬発力が高い」「変化にも対応可能」「先見の明があり、未来思考」なんじゃない?
…いや、めっちゃよく言い換えてることはこれまた自分が1番よくわかったるんですが、短所と思ってたことを、そういう風に長所に置き換えてみたら、何だか自分の中のヴァイブスがあがってきた😊
「終わり」中心の考え方から、「はじまり」中心の考えかたへ。
自分の中の基準を、シフトしてみようと思いました。
“はじまりをたくさんつくる”と捉えてみる
「追われない」んじゃなくて、「引きずってしまう」んでもなくて、「はじまりをつくれる」「はじめるのがうまい」「いつの間にかはじまってる」と捉えてみる。
そうすると、「勝手に終わらせることが出来ている自分」が、そこにいたことに気が着く。
「ENDありき」ということは、「どんどんはじめてどんどん終わらせていく」ということ。
終わりが予め定まっていることで、全てにおいて循環がめちゃくちゃ良くなるし、テンポも良くなるし、パフォーマンスも上がるだろう。常に火事場の馬鹿力状態、とまでは行かないまでも、軽いヴァイブスでとんとんとん、と回せば、個人への負担は多少軽減できそうな気はする。
そう思うと、待遇云々はさておき、派遣という働き方がものすごく良い循環システムに思えてくる…。
フォーカスをおわりからはじまりにすることで、おわりをはじめることができる。
そうすれば、自然と終わらせないといけないことは終わっていき(そのための行動をきちんとするだろうから)、いつの間にか終わらせることが出来ていた自分に気付ける、かもしれない。
やってみる価値は十分にある。
以前から考えてたこと
わたしはまだ未婚なのだが、もし結婚する時がきたらパートナーに提案したいことがあって、それだけは決めている。
※結婚制度が現状のままの場合(2021.2.14現在)
一年毎に、この契約関係を続けるか否かををお互いに話し合うこと。
どちらかが望まない場合は、話し合いののち終わりにする。
どちらも望む場合は、また次の1年をパートナーとして過ごしていく。
一年毎、というのは話し合いの余地ありかなと思わなくもないのですが、短すぎても長すぎてもイマイチかなと思うので、まあこんなものかなぁと思います(がもちろんその時がきたら話し合いますよ!)。
「他人であるという距離感」を忘れたら、お互いがお互いの1部もしくは全部という意識になってしまったら(なったと勘違いしてしまったら)、個じゃなくなるので。
個を保ちつつ、互いに尊敬し合うには「他人であるという距離感」をなくしたら出来ないと思うので。
話脱線しましたが
なぜこの話をここに挟んだかというと、自分の中に既に存在していた『ENDありき』のロジック?システム?がコレだったからです😅
だから、ENDありきという言葉がしっくりきたし、なぜしっくりきたのかを整理したくなったのでこのnoteを書きました😊
あー、楽しい時間でした。
やっぱり、自分を知るって面白い。
みなさま、ありがとうございました。
🌟今回のサムネイルはこちら☟
『無限の樹系図』
綿々と
2018.12.24
人や時代や、全てのものは移りゆくけれど、それは遠い遠い視線で見たら、美しい樹系図のように、綿々とつながっているのかなと思ったので、これにしました。
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