【#1】闘病記録前編・なぜ23歳に腫瘍ができたのか、"希少がん"発症に気づいたのか

連載1本目、早速上げていきましょう。こういう時はすぐやらないとね。うん。

前回、23歳にして神経内分泌腫瘍、通称「がんもどき」「ゆっくりがん」を発症したことについてお話をしました。皆様に心配のお言葉をいただきまして、改めてご迷惑をおかけしてしまった自覚もあります。

ただ、自分が好きで書き物に起こしているので、それに付随してご迷惑・ご心配をかけてしまうのは承知の上でした。皆様の暖かい言葉を受け止めて、少しでもおくすりにしたいと思っています。ありがとうございます!

今回は連載1回目ということで、今回どのような闘病生活を送っているのかを書いていきたいと思います。これがきっかけで体重管理など自分の健康を見直すきっかけにもなったので、可能な限り詳細に描こうと思います。

今回は前編として、発症から検査結果が出るまでを書いていきます。

※注意事項※
・下記はリアリティを持って書き起こすので、捉え方によって汚く感じさせてしまう表現や生々しい表現が含まれます。お食事中の方はご注意ください。てか食事中に記事なんて読まないでください、集中してください。
・特に命に関わる傷病ではないため、「そんなんで症状扱いするな」という点も見られるでしょう。私の感じ方をベースに素直に書き起こします。
発症以降会っていた方には、病気をお伝えしている方もいれば、特にお伝えしていなかった方もいます。ただ、私は皆様とお会いする時には一切無理をしていなかったので、その点お含みおきくださいませ。

○発症。きっかけは別の症状にあった

【前提】
・社会人2年目、営業職
・残業ちょっと多め(裁量が自由に与えられているので自由意志のもと)
・元から体調は良く崩すので、日頃から体調の変化には敏感。ビビり
・便通はここ1年間くらいずっと不調。

2021年5月28日(金)発症

@AM5時ごろ
ー腹痛に襲われて目覚める。トイレに入って用を足すと血便の症状。アセロラジュースくらいの濃さの血で、寝起きだったため寝ぼけているのだろうと判断し再就寝。出社へ。

@10:30ごろ
ー再び腹痛に襲われ、再度トイレへ。今度は下血(黒い便)のような症状が出たため「寝ぼけじゃねえな」と気づく。上司に相談の上、早退して即病院へ。

@15時ごろ
地元で内視鏡に定評があるクリニックへかかる。その前にまだ届いていなかった健康診断の結果を大慌てで回収。下記が判明。

・症状を話したところ内視鏡検査(大腸カメラ)が必要であること
・異変がない想定で診るが、中にポリープがあればその場で切ってしまう
・健康診断では肝炎の疑いがあること(ちなみに評定はD2=要精密検査)
・便通不調は「過敏性腸症候群」であること
・次回予約は数週後で、症状が顕著でない限りは通常通りの生活で良し

2021年6月18日(金)大腸カメラ
待ちに待った大腸カメラ検査の日。前日の下剤がとても辛かった。終盤は脇腹がなぜか痛くなったのを覚えている。

@16時ごろ
内視鏡検査がスタート。全身麻酔をかけたので寝ている間に検査終了。
検査中に「家の近くのカフェのお気に入り店員さんが辞めちゃって悲しい」と話していた模様。記憶にないので本能で話していたようだ。

@17時ごろ
主治医からの診察。結果的には5mm程度のポリープが直腸にできていたため、その場で切除。悪性、良性を判断すべくがん検査にかけるとのこと。
とても怖かったが、一旦は普通に生活してくれとのこと。次の診察は検査期間を鑑みて2週後に設定。途中問題があれば病院から連絡が来るらしい。

2021年6月25日(金)※治療から1週間しか経ってない


@18時ごろ
会社から帰宅中、病院からお電話。恐怖に襲われながら出たところ
「神経内分泌腫瘍の恐れがあるため、特殊染色が必要になる。時間が+1週間ほど欲しい」との連絡。ルンルンで定時上がりぶちかましたのにゲキ萎え。

○人生で初めて見た診断書。全て悟っちゃった件について


2021年7月9日(金)がん検査の結果発表


@19:30ごろ
病院の待合室で1時間半以上待つ。そんなに待つ?って思いながらその日最後の診察者になっていることに気づく。その日の詳細は下記。

・病名は「直腸カルチノイド(=神経内分泌腫瘍)」と発表
大きな症状はなく一般生活に支障はないものの、放っておくと暴れる(転移して体を蝕む)可能性がある転移性のある腫瘍なので処置が必要。
・通常のポリープ切除手術であれば、取り切ることはできない
・大きな病院で検査のもと切除をする必要がある
・ちなみに肝炎はついでに調べましたが脂肪肝による慢性肝炎です。酒はしばらく飲まないでください(デブ)

@20時ごろ 直後の感想
この時点でなんらかの記録に残そうと決めていた。しかし、突然すぎて言葉にならない。帰り道とぼとぼ歩きながら動画を回してみたものの、うまく言葉にできなかった。朧げな記憶では「前を向いて」みたいなテンプレートのような言葉を発したものの、自分が見ていられず削除(ちょっと後悔w)

@その後の生活
・努力できる部分として、脂肪肝は直さないといけない。そのため、夜ご飯の糖質を減らすよう家族と調整をスタート
・病気が自分にストレスとならないよう、必要以上の制約をかけないことを念頭に生活する。
・記録をつける意味も込めて日記を書く
・自分を大切にする

○前編総括「人生のターニングポイントだなも」

マジで凹みました。社会人2年目、ここから更なる飛躍うぉう!と思っていた矢先の発症。厄年全開すぎて笑えなかったです。

初期で気付けてよかったと言えばそれまでなものの、
個人的にはそんなことも言っていられませんでした。

体調不良を心配してくれた方には、この時点でははっきり伝えず「とりあえず死なねえわ!」とお伝えしていました。過度な心配をかけたくなく、少し隠していました。この場を借りて謝りたいです。ごめんなさい。

気持ちはまた別の機会にお話をするのでここでは詳細に書きませんが、
事実として突きつけられたこと、命に別状がないとはいえ23歳ではなかなかない病気であることを受け入れられなかったのを覚えています。

ここからは常に病気と一緒。向き合いながらの生活がスタートします、待って、宮下のライフポイントはもうゼロよ!次回「宮下、死す」デュエルスタンバイ!

って今だから言えるんです。ある程度時間が解決してくれることもあって(笑)次回は診断以降、本摘出手術までのタイムラインを書きたいと思います!また後日。

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