
映画「心平、」を観て
以前から気になっていた作品
凄く大好きな監督、俳優、脚本家でもある守屋監督のTwitter(X)を見ていると「心平、」のリツイートがあった。どんな作品なんだろう?あらすじを読むだけでも、心平の事が気になっていった。
遥か昔。私が小学生の時、担任の先生に作文や感想文を書く際「先生、あのね」と文冒頭に書くように言われた。それからはずっと文章を書く時に誰かに喋りかけるような気持ちで書いていたのだが、この「心平、」という題名を見た時に、何かを心平に語りかけるような、いろいろな人が心平に何かを伝えるような物語なのだろうか、そんな事を想像しながら劇場に向かった。
震災、福島、原発。
映像の中に、震災後の現実が映し出されていた。本来の仕事以外の事をしながら生きていく人々。震災に重ねて原発事故が色濃く影を落とす。入れない場所。暮らせない地域。
閑散とした町並み。今までの日常が目の前には無い。しかし生きていかなければならない。この背景があるからこそ、これから描かれる心平や、家族のありかたなどの一つひとつに、より深い意味がうまれていく気がした。
軽度の知的障がいと生きづらさ
特性というものは、多分誰もがそれぞれ持っていて、でもその人の中にある「こだわり」や、「経験の積み重なりにくさ」「感覚の敏感さ」など、他の人が何にも感じることなく生活する中で、心平の頭の中にぐるぐるひとつの事がかけめぐったり、つらい気持ちをなかなか消すことができずに言葉として自分の中に蓄積したり、いやなきもちは確かにそこにあって、それが家族であるからこその願い「社会の中で自らが働いて生きて行ってほしい」という感情との差異が生まれていったではないだろうか。
心平は自転車を漕ぎながら、もしかしたら自分の気持ちや頭の中を落ち着かせていたのかもしれない。
家族の葛藤と再生
家族だからこそ、ぶつかったり、喧嘩をしたり不満を抱いたりする。父一平は息子の様子を受け入れられずにお金だけ渡している、という設定のようだったが、ラストに向かうにつれて一平の父としての心平への愛情が画面越しに伝わってきた。目をそらしているわけではなく、きもちのあらわし方が分からなかったのではないかな、とついつい感情移入してしまった。だれもが心平をおもい、だからこそ感情をあらわにしてしまい、ぶつかってしまっていたのかもしれないし、心平にもうまく伝わっていなかったのかもしれない。
俳優陣の素晴らしさ
どの方々も素晴らしかった。それぞれのキャラクターに感情移入してしまうほどに、いきいきと、その人を生きている感じがして、出演俳優さん全て1人残らず素晴らしく、今も福島のあの地で心平やいちごや一平が暮らしているんだろうな、と思う。
パンフレットに「ここで、生きていく」というコピーとともに傘を見上げるいちごと、リュックをだいじそうに抱える心平がうつっていた。ラストに、これから生きていくちからがぶつかり合っているような場面があってとてもそれはなんとも言えず美しかった。
監督さんや脚本の方はきっと、きもちが優しい方々なのではないかしら、とおもいながら帰路についた。映画ってほんとうによいな。と思いながら。
